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ルート・アイリッシュ ◆ ROUTE IRISH [いんぷれっしょん]

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 この映画を知るための基礎的なキーワード。PMSCs(民間軍事会社)とコントラクター、CPA(連合国暫定当局)指令第17号。是非ご自身で検索していただきたい。

本作は、私達が今まで知っていた戦争のイメージとは異なり、戦場イラクにおいて、2003年5月大規模戦闘終結宣言後急速に進んだ戦争民営化の実態が描かれる。 民間人のほとんどが知らない、戦争請負いビジネスの実態への批判と、さらには、それら危険な仕事でしか生きられない労働者階級の現実をも明らかにしている。 その監督はケン・ローチ、英国の筋金入り社会派監督だ。

親友で幼馴染の英国人ファーガスとフランキー。腕利きの兵士だった二人は、高額の報酬を目的にイラクで活動する民間軍事会社に傭兵として赴く。先に帰国したファーガスの元に届く、フランキーからの不可解なメッセージ。やがて変わり果てた 姿で帰ってきた親友の姿と、遅れて届いた携帯電話に残った映像。それらから、尋常ではない何かを感じ取ったファーガスは、その死に隠された秘密を探り始める。 やがて、ファーガスがたどり着いた親友の死の理由と、彼なりの復讐劇の開始。そこにはニュースからは決して流れてこない、現代の戦争にまつわる闇があっ た。

ここ何年かの間に、イラク戦争をモチーフにした作品は何作か作られてきた。戦場の実態を描いたもの、帰還兵を取り巻く苦悩、息子を失った父親像等々が。 しかし、本作は私が今まで知らなかった全く別の視点で、この戦争を振り返る。正規軍が僅かしか送られない中、代替として多くの民間軍事会社によって投入された二万人超とも言われる民間兵。軍事会社と、現場の兵士達が何を行ってきたかという事実の一部が作品のテーマだ。

利益の最大化を目的とする企業が請け負う戦争。仕立てのいいスーツに身を包んで欧州高級車に乗り、究極のリアリストとして国家による戦争アウトソーシングの受け皿たる企業のトップ。彼らの企業活動の結果がイラク混迷の元凶であるとすれば、責任の所在は明らかだと思うが、彼らが裁かれることは絶対にあり得ない。復讐を実行し、殺人にまで及んだ法的な犯罪者と、本当の意味での重罪人は一致しないという結論。正義・大儀を持たない軍隊や兵士が、CPA指令第17号の下、爆弾テロにおびえながら行った犯罪的殺戮も裁かれることはない。そして、更に暗鬱になるのは、今や戦場にも市場の論理が働き、誰かがある企業を排除しても、そこにニーズがある以上別の誰かがそれを補う仕組みが出来ていると言うこと。

更には、もはや世界的なテーマとなった、格差社会における労働者階級の問題。高度化した資本主義社会の必然性と影。働いてお金を稼がないと生きていけないという当たり前のルールの中で、労働市場が対価として高額報酬を約束しているのは、言語的知能や、数学的論理的知能に限定されるという現実。グローバル化した労働市場において、成功の果実を手にするのが難しい能力、身体運動的知能を生かす受け皿としての民兵市場。システムそのものに根ざした深い問題ではあるが、現時点で誰も解決策を持ち得ない。

そして、忘れてはならないのが、侵攻された国にこそ最大の悲劇がもたらされるという観点。つまりイラク人こそが最大の被害者だということ。今までの戦争映画が、西欧の目線で描かれたもの多いのは周知のことだが、そういった意味でも明らかに異質であると言えよう。劇中とエンディングで聞かれる、イラク人のミュージシャンが歌う「メソポタミア」の歌。もの悲しいメロディーが、我々が聞くことのないイラク人犠牲者の声のように聞こえた。

 ●baghdad__airport_and_green_zone.jpg写真の右と左、赤線で囲まれた地域を結ぶ太い道が「ルート・アイリッシュ」だそうだ。 この映画のストーリーは、過去数年間にイラクで実際に起きた数多くの事件をベースに組み立てられているという。
実在する軍事会社ブラックウォーター社

●作品の背景を解説した日経ビジネスオンラインの記事。ルート・アイリッシュの語源、イラク戦争と民間軍事会社、それを産んだアメリカの事情などを知ることが出来ます。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120328/230342/?P=2

 

 2012/05/31 シネマジャック&ベティにて


ケン・ローチ作品 社会派作品多数。アメリカを毛嫌いしていることで有名なので、アカデミー賞とは無縁。

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ファミリー・ツリー ◆ The Descendants [いんぷれっしょん]

The Descendants.jpg 演じる度に違った人物像を見せてくれる、現代の名優ジョージ・クルーニー。ハワイを舞台にした最新作では、ほぼ一人芝居といってもいいかもしれない独壇場の演技で、降りかかる難題に翻弄される冴えない中年男像を見せてくれた。

真面目で堅実、仕事人間の弁護士マット・キング(クルーニー)。彼が直面している問題は二つ。美しく奔放な妻エリザベスが、パワーボートの事故で植物状態に陥り、再起が絶望的状態にあること。もう一つは、先祖伝来受け継ぐ広大な土地の扱いについて、「受託者」として近い将来大きな決断を迫られているということ。そしてそこに追い打ちをかけるように明らかになった妻の不倫、更に離婚までを望んでいたという事実。それらを目の前にした彼の狼狽と、途方に暮れ具合、我ら熟年男にとっては痛いほどよく解る。故にこの時点で、これから臨むこの作品を楽しめるであろうことが、半分以上約束されたようなものだ。

 洋の東西を問わず、働き盛りの中年男の多くがそうであるように、この主人公も子育てや家庭で起きる問題ごとには無頓着だった。それが妻に起きたアクシデントのせいで、否応なしに向き合わなければならなくなる。仕事の難題なら、どのようにも立ち向かって行ける筈の男が、こと家族の問題になると、てんで頼りなくて情けない。

 親元から離れ、寄宿学校に通う長女アレックスは、いかにもといった感じで今どきの奔放な女の子らしく登場する。しかし、父の苦悩を前に、偶然知ってしまった母親の不倫の秘密を告げることで、父娘が不思議な連帯感を共有し、それまで反抗的だった娘は心を溶かし始める。それは、父親が我が娘を、一人の大人として認め頼ることで、互いが尊敬し合う関係に再構築されるからだ。

 妻であり、娘にはとっては母でもある人の不倫相手を探す旅。そしてなぜか行動を共にする、長女のボーイフレンド。風変わりな一行は、いくつかの困難や現実問題に遭遇しながら、関係がだんだん熟成されていく。子供っぽかった若者達は意外な成長を見せ、頼りなかった父親は、包容力を纏ってくる。そして、遂に目的を遂げるとき、そこには別の家族がいて、新たにもう一つのドラマが生まれる。

 順風満帆、自分の思い描いたとおりの人生を送れる人は、世の中にどれくらいいるのだろうか? 他人が羨むような成功を手にし、何の苦しみや悩みも無いように見える人の中にも、実は僅かなつまずきや迷いで、それを失うことも有り得るだろう。この物語の主人公マットとて同じで、自分がイメージしていた成功物語が、実は危ういバランスの上にぎりぎりで立っている、かりそめだということを思い知り、自分と家族を見つめ直す、新たな視線を見つけるというのがこの物語のテーマであるなら、それは多くの人々の生き様にオーバーラップするだろう。

 進化生物学上の頂点に立つ人間ではあっても、虫眼鏡で見てみるなら、それは小さな単位である家族の集まりであり、種としての繁栄とは別の未熟さを、それぞれが抱えていることにもあらためて気づく。逆に、そんな未熟さを抱えつつ、親から子へ、子から孫へと生命の環を繋ぎ、支え合い補い合いながら、互いを慈しんでいくことの大切さをも、再確認するのだ。

 エンディング近く、マットが先祖の肖像写真を前に、もう一つの決断をするシーンが静かに描かれる。自分が今ここにいる必然性。アイデンティティの拠り所としての血族の絆を象徴している。原題「The Descendants」は、子孫、・末裔という意味だ。そして、邦題「ファミリー・ツリー」は、土地に根を張り生命を繋いでいく家族を象徴しているのだろう。なかなか良いタイトルだ。

 そして、父と娘らが、エンドシークエンスで見せる何とも暖かいやりとりと、大写しにされるタイトル文字は、爽やかな余韻となって心に染み渡る。明るく美しいハワイの映像と、柔らかなハワイアン音楽と絡めて、どこにでも起きそうな家族の事件を、ほのかなユーモアを絡めて描いた本作から得られる教訓は、すべての人種や国境をも越える普遍性を持つだろう。

 最後に、実に個人的なこととリンクさせるのだが、この作品を見ている最中に、ずっと長いこと心に引っかかっていた自分自身の未解決問題を解く回答の糸口を見つけることができた。 堂々めぐりを繰り返し、抜け出せずにいた迷路の先に見た小さな灯り。映画作品が人生を変えるなんてことが、自分自身に起きるとは思ってもいなかったけれど、それが起きた。嬉しい驚きだ。だから、作品への評価とは別の次元で、一生忘れられないだろうと言うことを、つけ加えておきたい。


 2012/05/31 TOHOシネマズ海老名にて


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バトルシップ ◆ Battleship [いんぷれっしょん]

バトルシップ.jpg 巨人ユニバーサル映画が100周年を記念し、その総力を注いで製作した超娯楽大作。単純明快、爽快感120%、米海軍プラス海上自衛隊VS異星人の、ガチンコバトルを思い切り楽しもう。監督は、キングダム/見えざる敵やハンコックのピーター・バーグ。

 遙か宇宙の彼方から、編隊を組んでやってくる未知のエイリアンと、最新鋭とはいえ、地球外の敵との戦いを想定してしない軍隊を五分に戦わせるには、それなりの必然性及びリアリティを持たせることが大前提になる。昔のSFや、日本のヒーローTVドラマだと、自衛隊なんかは、シュッと一発キンチョールで落される蠅か蚊のようにあっという間に一蹴されてしまい、ある程度善戦するのは、対宇宙生物用の特殊装備を持った、地球防衛軍の役目というのが通り相場だった。しかし、本作の主役は、太平洋上で演習をしている日米の艦船とその乗組員達であり、ワンダバダ・・と秘密基地から出撃してくる防衛軍や、M78星雲からの援軍もナシ。そこで考えたのが、やって来た宇宙人軍団は先遣隊で、彼らとて地球のことはまだよく解らないから、本隊や補給路がきっちりするまで、先制攻撃は控えようという態度にしましょうというアイデアなのだ。

 予告編やポスターでも解るように、敵の艦船(宇宙船)は、ものすごく巨大で頑丈そう。宇宙を長旅して来たのだから、当然思いも寄らない超科学に裏打ちされたハイテクを装備しているに違いない。とても歯が立ちそうにない相手に我らが地球軍がもらったハンデが、彼らが地球に到達する前のアクシデントで、通信船を失い、行動が制限されるということ。電磁バリアーを周囲に張り巡らし、太平洋の真ん中で引きこもり、じっくり構えて侵略の準備を整えましょうというところに、付け入る隙が生まれるという設定は、なかなかにうまい。リアリティ重視と言ったって、宇宙人の侵略という設定自体が荒唐無稽じゃんと言われてしまえばそれまでだが、そういうリアリストの方々は、そもそもこういう作品にお金を払わないだろうから、念頭に置かなくてもいいのだ。

非常に納得できる舞台設定の中、自衛隊の護衛艦と二隻の米海軍駆逐艦が、バリアーの中に閉じこめられ、敵と対峙することになる。しかし、USSジョン・ポール・ジョーンズ一隻を残してあっという間にやられてしまう。残った船に生存者が集まり、エイリアンとの知恵比べをするのだが、そのアイデアの中に、懐かしのエポック社レーダー作戦ゲームのようなシーンも見られ、その作戦を立案するのが浅野忠信演じるナガタ一等海佐というのも、私達日本人にとってはグッと来る「燃え上がり」要素である。

孤軍奮闘空しくJ・P・Jも遂に撃沈されてしまう。そこから主役の二人が脱出するシーンも、なかなかのスペクタクルで見応えあるのだが、武器を失った彼らが最後の手段として乗り込む艦船がこれまたスーパー「燃え演出」だ。この辺は、娯楽大作として最大のハイライトであり、未見の方にバラすのは気が引けるので、一応ぼかしておくが、タイトルの、戦う船=敵の巨大な宇宙船の意味、あるいは作品全体を通しての比喩的な使われ方ではないと気づいたたときにはかなりぶっ飛ぶ。そしてそこに登場する思いも寄らない援軍、そりゃあもうガッツポーズで「Yes!!Seniors, please.」(Google翻訳のコピペなので、正しい用法かは?)と叫びたいくらいであります。

徹底的に娯楽を追求した大作でありながら(あるからこそ)非常によく練られた脚本。序盤に沢山登場する伏線が、すべて上手に回収されているところも、さすがメジャーの威信をかけただけのことはあると納得。主戦場である海の上とは別に平行して語られる、主人公の彼女と、両足を失った退役兵の活躍にも、おじさんとしてはじんとしてしまう。

かような痛快活劇の中に、敢えて示唆めいたことを見つけようとするなら、ある脅威に対して、だれか一人のスーパーヒーローが立ち向かうのでなく、それぞれの力は小さいが、力や知恵を集めることで、巨大な敵にも抗えるという設定が、今の米国のムードを反映しているかもしれない点か。そして、伝統的価値観として、過去のヒーロー達へのリスペクト、現在の繁栄が、先人による礎の上にあるという意識を暗黙のうちに共有しているといったころだろうか?

しょっちゅう変わる日本の首相が、その度に米国と確認し合う同盟関係。我々民間人が普段ほとんど意識しないこの状況も、フィクションとはいえ映像で見せられるとなるほどと納得できるものだ。そして出来るなら、憎むべき相手として命がけで戦うのは、人類同士ではなく、手加減不要の異星人であってほしいなんてこともちらりと思うのだ。

※オマケ レーダー作戦ゲームは「永遠の僕たち」で、加瀬亮とヘンリー・ホッパーがたびたびやっていた。本作の主役名が、アレックス・ホッパーなので、懐かしいゲームと役者名で妙な繋がりがあるなぁー。

2012/05/19 TOHOシネマズ海老名にて


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少年と自転車 ◆ Le Gamin au velo [いんぷれっしょん]

少年と自転車.jpg「大人とは、歳をとった子どものことだ。年齢を重ねても、自分が歳をとったと感じることはない。ほんの少し若いときより賢く、自信を持っているだけだ。」少し前にウェブで拾った、ある父親が息子に宛てたメッセージの中の一部だ。男の成長について簡潔且つ的確に表現されていて、なるほど至言である。

私には、間もなく成人する歳になる息子がいる。そして、自分は少年時代を経て、今は大人の男として日々を送っている。だからこの作品、薄幸な少年を見つめるような作風に強い親近感を抱き、とても惹かれる。

名匠ダルデンヌ兄弟が、日本で開催された少年犯罪のシンポジウムで耳にした「育児放棄された子ども」の話に着想を得て作り上げた作品とのこと。 物語のテーマを俯瞰してみると、父親に見捨てられ、養護施設で暮らす主人公の少年シリル。偶然出会った女性サマンサが里親になることによって癒され、心の成長を遂げていく様子を、いくつかのエピソードと日常的セリフを積み重ねながら、説明的な言葉やシーンを用いることなく描いているいうというころか。暗喩を味わうべき作品と言い換えられるかもしれない。

他のどの作品にも似ていない、とてもオリジナリティーに富んでいる。まず最初に印象的なのが カメラのフレーミングだ。背景や風景を極力省略して、手持ち撮影による人物のクローズアップを多用。時には人物、特に主人公シリルがフレームからはみ出すような撮り方は、観客が彼に向ける目線のような感覚。カメラと人物の距離が客観性と比例するのであれば、その距離感は登場人物に対してかなり近く、寄り添うような感覚で彼らの周囲に起きる出来事を体感していくという印象だ。無垢で傷つきやすい年頃の男の子へ、思わず手を差し伸べたくなる距離感が絶妙である。

映画的省略という観点で見ると、もう一点特徴的なのが登場する人物への説明だ。主人公父子の家庭環境や、母親の存在については一切触れられない。父が子に告げる決定的決別の言葉。「いっしょには暮らせない、ホームへ戻るんだ。」身勝手な言葉の理由もほとんど語られず、やるせない余韻だけが残り観客の想像力をかき立てる演出には感嘆する。シリルとサマンサとの出逢いから、里親役を引き受ける一連の流れについても同様。人物の心の動きは、見る者のイマジネーションにゆだねられているのだ。

逆に、非常に解りやすい演出も用意されている。劇中、音楽はほぼ皆無だが、ベートーベンピアノコンチェルトが唐突に四回短く流れる部分がある。それはシリルの中でエポックが起きたとき、まず最初、父親との連絡が取れなくなり、ふてくされた彼がシーツにくるまり外界を拒否する態度を取るとき、次に、父に決別の言葉を告げられ、里親サマンサの車の中で強烈な自傷行為に至る場面、三回目は、街の不良少年に誘われて夜の外出をしようとし、咎められたサマンサに抵抗し、傷つけてしまう場面。そしてエンディングだ。 それぞれ場面転換も伴っているので、強いアクセント感が伝わってくる。

身勝手な父親と、無償の愛を注ぐサマンサが対比されながら、必要な時間と過程を経てやがて二人は家族になる。物語の後半、陽光の中自転車で併走する二人。やがて、そのスピードの差に気づき、大人用の自転車に交換してくれと頼むシリル。父から買い与えてもらった愛用の子供サイズMBを、別のものに乗り換えるという行為は、自分を捨てた父との決別であり、大人への階段を一段上ったことの象徴とも受け止められる。そして、続くランチのシークエンスで、二人の心が完全に溶け合っているのを見る。最も明るく暖かい部分だ。

しかし、ここでハッピーエンディングにならず、もう一山用意されている。最後の事件と、エンドシークエンスで描かれるシリルの姿に、彼の成長の跡が象徴されている。過去の罪に対し、「おとしまえ」を付け、本物の男として一歩踏み出すのだ。頼まれた買い物を抱いて、サマンサの元に走る彼が、この後、サマンサに対して語るであろう言葉については、観客全員が同じ想像をするはずだ。そして、その言葉を受け入れる「母親」の姿にも。

2012/4/26 シネマ ジャック&ベティにて


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 ダルデンヌ兄弟作品


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素敵な劇場その4 [愛の劇場]

TOHOyokohama.jpg割と良く足を運ぶ劇場のなかで、最もゴージャスな設備を備えたところです。国内最大手のシネコンTOHOシネマズ。横浜の郊外にあるショッピング施設「ららぽーと」の中にあり、プレミアスクリーン1を含め13のスクリーン数を誇る、大型シアターです。

スクリーンが13もあるせいか、比較的地味な作品もひとつくらいは取り上げてくれるのが、愛用している理由のひとつ。

各種割引きや、鑑賞ポイント、シネマイレージといった付加価値サービスも充実。 昨年の震災後、長らく休業していましたが、 めでたく復活。クルマでしか行きにくい場所にあって、平日は何時間駐車してもタダというのがありがたいですね。


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昼下がり、ローマの恋 ◆ Manuale d'am3re [いんぷれっしょん]

昼下がりローマの恋.JPG生まれてから半世紀ほど過ぎると、世間的には所謂熟年あるいは中高年などとくくられるようになってくる。社会的にはそこそこ責任ある立場に置かれ、 山のような仕事に追われる毎日、身の回りにおいては、夫婦間には微妙なすきま風が吹いたり、子供がいれば進学や就職の心配などする時期かもしれない。日々伝わる国内外の情勢などにもほどほど精通し、頼りない政府に憤ったり、一向に回復しない景気の動向や、社会常識に欠ける若者への憂いを抱いたり、そして最も気になるのは、間近に迫る老後に向けた我が身の行く末だろうか? つまるところ、あれこれ心配事や解決が迫られる目前の課題なども多く、結構忙しい毎日なのである。

だから、男女の色恋ごとなどにはうつつを抜かしている場合ではなく、けだるい午後に繰り広げられるメロドラマの世界などは、およそ縁がないだろうというのが、ニッポンの正しきオヤジの姿と固く信じて疑わなかった。まあ、その辺の心根には、要するに恋は素敵だが、既にそこの当事者たれない立場に追いやられて久しくなった悔しさとやっかみが多分に含まれているのはご推察の通りなのだが・・ そんなオヤジがちらりと目にした予告編、名優デ・ニーロとイタリアの宝石モニカ・ベルッチの共演という売りに目がくらみ、劇場へと向かうことに相成った。

「イタリア的、恋愛マニュアル」から続くシリーズものの第三作だそうで、そのあたりの事情もまったく知らず。おまけに、3話のオムニバ スだったことも、始まってから気づいた。よくあるパターンとはいえ、今回も告知に騙されデ・ニーロとべルッチ主演の長編と思いこんでいた。第1話「青年の恋」、第2話「中年の恋」、第3話「熟年の恋」、yahooやGoogleで翻訳しても埒があかないが、原題「Manuale d'am3re」も、この三話で作られているよといったことを意味しているのだろう。

 さてその内容はというと、第一話目は、結婚間近の若い弁護士が、仕事で訪れたトスカーナでやんちゃな美女と出会い、あっという間に燃え上がってしまうという、いかにもイタリア的なお話。ミコルという人妻を演じたラウラ・キアッティという女優が、やたらに色っぽく且つチャーミングで、陽光降り注ぐトスカーナの町並みや自然の風景とマッチして、とても目の保養になった。

第二話目、人気テレビキャスターである中年オヤジが、イカれた美女の誘惑に乗って手ひどい目に遭うという、これが一番コメディだったな。キャスター、ファビオ役のカルロ・ヴェルドーネというおっさん役者の困惑ぶりがやたらに可笑しく、しゃべりながら繰り出すイタリア人独特(詳しくは知らないが多分そうなのだ)のフィンガーアクションが笑える。 しかし、情事の模様を隠し撮りされ、ネットに流すぞという脅迫は確かに怖い・・・ご同輩諸氏で渦中にいらっしゃる方はお気をつけをと申し上げておこう。

そして、件の名優と宝石が共演するのが第三話、大病を克服した歴史学者であるデ・ニーロが、親友の娘と恋に落ちるという羨むべきお話。そのお相手がベルッチという訳だ。父娘ほどの年の差を超えて、絶世の美女をモノにする役には名優も楽しそうで、力の入らない演技にもそれなりに好感が持てる。宝石美女については相変わらずで、女優として演ずるところについて、コメントすべき点は無く、相変わらずお綺麗ですね・・とだけ申し上げておこう。実年齢より随分若い役柄だが、それを感じさせない美貌と妖艶さには舌を巻くが、男性には当然期待されるシーン、今回はちらっとだけなのでややがっかり。

三話ともヒジョーに魅力的な女性が登場し男を虜にするのだが、その女達がそれぞれ秘密を持っていて、それが明かされることで話が転がっていくというシンプルな構成、大したひねりもないので、あっという間に結末を迎えるところも有閑昼下がりの時間潰しにはもってこい・・。主役の男達と我が身を重ねるか、あるいは傍観者として笑い飛ばすかはそれぞれご自由。全体の流れからは、オヤジが元気になれそうな空気が残るので、恋ゴコロによって分泌されるという脳内快感物質を今一度湧き起こしたいと思える気になったりするかも。でもやはり、これから当分の間近づかないジャンルだろうなぁ~。

2012/4/12 シネマ ジャック&ベティ にて


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ピープルvsジョージ・ルーカス ◆ THE PEOPLE VS GEORGE LUCAS [いんぷれっしょん]

ピープルvsルーカス.jpeg言わずと知れた、映画史上最も高い人気を誇るシリーズ「スターウォーズ」。その熱狂的ファン達が、制作者ジョージ・ルーカスへの愛憎入り交じる議論をひたすら投げかけるという、偏狭的ドキュメンタリー。スターウォーズ本編の映像は全く使われず、ファン達が作ったビデオ映像や、取材映像などを中心にした、言わばYoutubeに代表されるネット動画時代の自主製作映画という趣だ。

従って、スターウォーズ作品およびその周辺に際限なく広がり続ける派生ワールドについて、ご興味の無い方々は本作を見るべきではないし、この感想文をお読みになる必要はありません。

 かく申す私も、洗礼を受けた一人。第1作の公開は1978年7月、当時高校三年生で公立高校の運動部を引退目前、そろそろ受験モードに入ろうかという頃だった。公開時に劇場に行かれた方は共通の体験をされていると思うので詳細には書かないが、あの時見せられた映像はティーンエイジャーの男にとって衝撃以外の何ものでもなく、一瞬で魂を奪われたのはファン全員の共通体験のはずだ。 当初は全9部作として発表され、4年おき順次公開される予定だという話。つまり自分 が40歳代になるまで新作を見続けられるという、夢のような期待感、しかしエピソード6公開時には、あっさり否定され奈落の底に落されたのも周知なのだが・・。 本作に登場するコメンテーター達もトリロジーの三部作については、ほぼ同様の感想を述べている。「最高だった!」「信じられない体験だった!」「人生が変 わってしまった!」等々等々。ひたすら熱く発せられる賛辞には只々頷くのみ。

しかしながら、熱狂的ファン達は、やがて神にも等しい制作者 ルーカスに対して手厳い批判を浴びせ始める。それは、特別編の公開以降勃発し、新三部作(Ⅰ~Ⅲ)へのぬぐい去りがたい拒否反応でピークに達する。 また、エピソード6.5とも位置づけられるはずのテレビドラマ「スターウォーズ ホリデースペシャル」に至っては、もはや嘲笑の対象にさえ・・。なぜそのような失望や批判、場合によっては憎しみの感情までも招いてしまったのか?そのあたりの答えはファンなら知っておくべきかも知れない。

あんなに素晴らしい映画作品を生み出した希有なクリエーターが、どうして変節してしまったのか? 歴史的にも価値があるはずのオリジナルをルーカスはなぜ改変しようとするのか?作り手の意思と、観客の期待がいつからずれてしまったのか? 映画作品の成功以上に革命的と言われる関連商品のマーチャンダイジング。ファンの忠誠を手玉にとるような手法による、グッズやディスクの新バージョン発売攻勢への苦言等々・・いやはや凄い。 トリロジーとプリークェルの間の中断を含め、何十年もスターウォーズとかかわってきたファンの存在は制作者と同等か、あるいは思い入れに於いては既に凌駕しているのだ。

映画作品において、観客の共感が得られるか否かが決まる物差しには、受け手側の情動がいかに高まるか、あるいは臨場感、世界感をどれだけ刺激し豊かにできるかといった要素が多分にあると思う。そして、それがドキュメンタリーであるならば、含まれる情報の量とその濃さも要素に含まれるかもしれない。だとすると、本作ほど、それらを満たしているドキュメンタリー作品は無いのではなかろうか? そもそも、ファンによるファンのための映画、ファン以外の目に触れることを想定していない「部外者立ち入り厳禁作品」と称してもいいかも知れないものが、興行として成立すること自体が普通ではない。そして、それを実現し、常に裾を支える膨大な数のファンと、広がり続けてとどまるところを知らないスターウォーズワールドは、20世紀から21世紀の初頭にかけての時代が産んだ、偉大なる文化のひとつと考えて間違いないだろう。そんなことを、今更ながらあらためて認識したひととき、画面に登場した愛すべきファンの皆さんへの強い共感と共に。そしてやはり待ちわびるのは、エピソードⅦの制作と公開。 
May the force be with us.

2012/04/05 横浜ニューテアトルにて

 

starwars.jpg
 
「新たなる希望」オリジナルバージョンLDを含むマイコレクションの一部。
フィギュアはほとんどありません。

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灼熱の魂 ◆ Incendies [いんぷれっしょん]

灼熱の魂.jpg

超重量級のドラマです。これからご覧になる方は心してスクリーンに向かってください。

本国カナダでのアカデミー賞に当たるジニー賞で8部門を受賞し、米国アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされたという作品。それは、現代平和日本に暮らす私達には想像さえし得ない過酷な人生を送った、ある女性の半生と、その子供達の出生の秘密を描いた驚きの物語だった。それはまるでギリシャ悲劇のように・・。

物語の主人公である、不可解な死を遂げた母ナワル・マルワンが、双子の姉弟ジャンヌとシモンに残した謎の遺言。それは二人が存在さえ知らなかった兄と、死んだと思われていた、まだ見ぬ父へ宛てた手紙を渡してほしいというものだった。母の愛を受けることなく育ったと思いこんでいる弟は拒絶するが、姉娘は母の足跡を辿る謎解きの旅に出る。 ミステリータッチの物語が、その構成によって、母の生まれ育った故郷で起きた惨禍と、巻き込まれ翻弄された女の過酷な半生を明らかにしていくという手法だ。

娘ジャンヌの父親探しの旅にオーバーラップして、やがて見えてくる母の封印された過去、辺境の村に住み、キリスト教徒でありながらイスラムの男を愛し、祝福されない子を産み辿った茨の道。引き離され生き別れになった我が子を探す中、変節し闘士としてテロに身を投じ、暗殺者の道へ。 投獄され過酷な拷問を受けながらも毅然と耐え「歌う女」と称されたナワルの身に起きた悲劇とは・・。答えを求め、もつれた糸をほぐすように、ひとつひとつの謎を明らかにしていく過程は、一瞬たりとも目が離せないが、それは推理ものにあるような謎解きの楽しみなどはかけらもなく、突きつけられることすべてが重く痛い。

母の故郷、特定の国名を明らかにしているわけではないが、中東の歴史を紐解くとそのモデルは透けて見えてくる。 大国の影響下で成立した人工的な国、本来あるべき姿でないまま存続することで歪みが生まれ、周囲の紛争の火の粉を被る形でやがて始まる内戦。宗教対立、難民問題、テロリズム、社会の不寛容など、極東の島国に住む私達には、ニュースネタとしてか実感できない背景描写は、それだけで十分に問題提起として成立している。破壊し尽くされた街、戦火を逃れて逃げまどう人の波、町中で容赦なく撃ち殺される少年達。乾いた砂漠の国々に何時終わるともなく生まれ続けるであろう景色は、ニュース映像よりリアルに迫る。人々の住む市街が主戦場になる内戦は、最も悲惨な戦闘の結果を残すということに、あらためて気づく設定でもある。

しかしながら本作は、反戦プロパガンダ映画としてより、更に一歩も二歩も踏みこんで見せる。内戦のただ中で、子を産む機能を有する女として生きる困難、産み落とした子を育て慈しむことを本能として有する母であることの喜び、そして、その喜びを奪われれて生き続けねばならない悲劇、それらが絡み合ってナワルの動機として描かれる。作品中重要な場面で何度か用いられるプールと水中撮影は、母体内の浮遊感と羊水のメタファーであろう。生命の源、環の中心にいながら、人と人とが、民族と民族とが、宗教と宗教とが争い続ける中で、常に翻弄される女性という存在が、いかなるものかという現実に目を向けざるを得ないのだ。

物語の後半、ジャンヌがたどり着いた「歌う女」の真実。弟が呼ばれ、「父」と「兄」の正体が明らかになる時、そのおそるべき真相の前に、この姉弟と共に私たち観客も、完膚無きまで打ちのめされることになる。 1+1が1 あり得ない数式、その答えを知るとき聞く姉の叫びは、誰もが言葉を失うに違いない。

 遂に手渡される二通の手紙、^明らかになるその内容を聞きながら、物語のはじめに語られた母の死の真相と、手紙に託された、ナワルの女として、母としての心の内を、私達は聴く。一度は憎しみの連鎖に身を置いた闘士が、地獄の火に焼かれながらもたどり着いた高み、これほどに大きな愛と赦しに満ちた言葉を私は知らない。すべてが収れんする見事な結末に打たれ、暫し席を立つことさえ容易では無かった。

双子 ナワル ニハド デレッサ クファリアット アブ・タレク サルワンとジャナーン シャムセディン 8つの章に分かれた構成は、オリジナルが舞台用に書かれた戯曲であり、フィクションだという。 そうだ、こんな悲劇は想像の産物であって欲しい、そう願いながらも、久々に見た最上級のフィクションの力に酔う満足感にも満たされた。 間違いなく今年のベスト候補だ。

2012/03/22 川崎市アートシアターアルテリオ映像館にて


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 ナワルを演じた ルブナ・アザバルが好演。
これも中東の現実を描いた秀作。


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エンディングノート [いんぷれっしょん]

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静かな話題作を見てきた。実在した砂田知昭さんという方が、定年退職後間もなく癌を患い、亡くなるまでのご自身に残された時間をどう過ごし、遺族や知人友人に対して何を残し、託していったかと言う過程を映像としてまとめた珍しい作品だ。そして、それを撮影し仕上げたのは、実の娘であり、本作監督の砂田麻美さんだ。

 結論から言えば、とても暖かい気持ちになれる素敵な作品だった。現代日本人の平均からいえばかなり若い部類に入る67歳での死、ご本人が思い描いていたであろう定年後の第二の人生を、ほとんど楽しむことなく不治を宣告されるとは、さぞや無念であろうことは想像に難くないが、映像に残る砂田さんの姿はそのような悲壮感は微塵もない。とても冷静で知的、そして常にユーモアを忘れないおちゃめなお父さんだ。

劇中のナレーションは、娘である砂田監督自身が亡き父知昭さんに代わって語るという形式をとっている。 ビデオ映像に残るご本人が語る言葉と、心中を語る娘の声が良い具合にバランスされているのだが、どちらにも常に独特のユーモアがあり、弱っていく外見とは相容れないギャップが、悲壮感を遠ざけているのだ。

慶応大学経済学部卒、東京丸の内に本社を構える化学企業を支え、重役にまで上り詰めたモーレツサラリーマンだった砂田さん。 ポスターの写真は、まだ現役会社役員で、バリバリの時期のものだ。恰幅が良くて明朗快活、仕事への自信に満ち溢れている姿は、戦後日本の高度成長を駆け抜けた働きマンの姿そのものだ。多分この頃の砂田さんの日常は、ご自身の仕事が何よりも優先、営業畑一筋のキャリアに強烈な自負を持ち、会社への貢献度と自身の存在意義がパラレルという、「プロジェクトX・地上の星」な男だったんだろう。 病気療養中の医師との会話や、葬儀を託したい神父との会話にも頻繁に登場する「私事(わたくしごと)で恐縮ですが」という言葉、会社人は自分の主義主張や欲求、ましてや家族のことなどは二の次三の次が当然。全身全霊を会社と仕事に捧げて突っ走ってきたに違いない。 だが、それはややもすると家庭・家族を顧みない、家では影の薄い典型的昭和のお父さん像だったかも知れない。 

 そんな働きマンが仕事をリタイアし、家庭人として歩み出した新たな人生は、当初実はぎこちないものだったらしい。しかし、幾つかの山や谷を超えて穏やかに進み出した日々に突然降る癌宣告。そして図らずもここから始まった終活、砂田さんが最後に自身に課したTodoリストは、ご本人の言葉を借りれば「段取りの命」の通り、水をも漏らさぬ人生の最後を締めくくるにふさわしいものだ。しかしその内容は、かつてすべてを捧げた会社とのかかわりや、自身の業績について総括しようというものではなく、もしかしたら、長い間ないがしろにしてきたかもしれない、家族との時間を主にしたものであり、過去の価値観とは違う終末を望む内容だった。

病状が悪化し、間もなく死期が迫ろうという頃、砂田さんは最愛の孫にお別れを言う。そして病床で妻に最後の感謝の言葉を伝える。この時代を駆け抜けた多くの夫婦がそうだったように、仕事命亭主と、家に残された妻。価値観のすれ違いを抱えて連れ添い続けた夫婦のもつれが一気に解ける。 この瞬間に溢れる出る言葉と涙は何より美しかった。そして、実の娘とはいえ、夫婦以外が立ち会うことなどあり得ない尊い場面を作品に収めた麻美監督に拍手を贈りたい 。

笑いと涙をごちゃ混ぜにして物語は終わりに近づく。生前の希望通りに葬儀が営まれ、砂田さんの残したエンディングノートが披露される。いつか必ず訪れる家族や友人との別れ、送る側も送られる側も避けられないことであるなら、この先輩が残してくれた素敵なメッセージから教わることは多そうだ。

実の父というスーパースターをモチーフに、素晴らしい作品を撮り、編集もこなした砂田麻美監督。手持ちのハンディビデオカメラ映像がほとんどを占めるドキュメンタリータッチだが、ひとつの完成されたエンターテインメント映画作品にまで昇華させた手腕は見事。プロの演技者を使って撮る次回作に真価が問われるだろう。大いに期待したい。

オマケ=少し前The Bucket Listという米国作品がありました。同じようなテーマを扱ったものですが、どちらに共感するか比べて見るのも一興かもしれませんね。

2012/03/15 川崎市アートセンターアルテリオ映像館にて


 

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おとなのけんか ◆ Carnage [いんぷれっしょん]

おとなのけんか.jpg女A、著作経験のある文化系人権主義者 、芸術などへの感心も高く、家庭を大事にするナチュラル指向。 男A、女Aの夫、金物を扱う個人商店のオーナー、フランクでおおらか、ややいい加減な典型的20世紀タイプのアメリカ男子。多分ニューヨークジェッツかヤンキースが三度の飯よりスキ。女B,投資ブローカー、クールで知性と常識を備えたキャリア女性、子育てや家事に忙殺され仕事に打ち込めないことへのフラストレーションを抱える。男B、女Bの夫、企業弁護士、仕事柄当然合理主義者、目線が高いのは生まれつきの性分か職業がそうさせるのか、デリカシーにやや欠け皮肉屋の一面も。
注)人物像描写は筆者の主観による

 上映時間80分弱という短い作品に登場するのは、ほぼこの男女4名のみ。シチュエーションも男女Aの住むアパートメントとその玄関先だけという、限定された空間。 これはどう見ても舞台劇だなと思っていたら、やはりフランスの女性作家ヤスミナ・レザと言う人の戯曲『大人は、かく戦えり』を映画化したものだとのこと。

 子供同士のケンカに収拾をつけるために集まった4人の親たちが、良識ある大人として冷静に話し合って円満解決を目指したはずが、何時のまにやら口論が始まり気がつけば激烈バトルに突入していくというお話。女Aペネロピ・ロングストリーを演じるのが ジョディ・フォスター、その夫マイケルがジョン・C・ライリー。女Aナンシー・カウワンを演じるのがケイト・ウィンスレット、その夫弁護士アランがクリストフ・ヴァルツ。チラシの組み合わせ通り、絵柄もシンプル。

発端は11歳の同級生同士が起こした子供のケンカなのだが、加害者と被害者という構図があるから話がややこしくなる。加害者側がB夫婦、被害者側がA夫婦、さらに面倒くさい方向に進む原因は、冒頭に書いたとおり社会的ステータスはどうやら加害者Aファミリーのほうが高そうで、被害者である庶民クラスの家族としては、賠償してもらえばいいってもんじゃないでしょ?という気持ちがあるから一筋縄でいかなくなる。互いの家族に対する不信感を背景に、ちょっとした会話の端々からカチンと来るのが積み重なり、口論に火が付いてしまうのだ。

オリジナルが舞台劇というだけあって、お話はタイムラインに沿って進むので、それぞれの心情が変化するのをリアルタイムに観察していくことになる。曲折が深まるタイミングがいくつか用意されていて、例えばマイケルが子供の飼っていたハムスターを捨てる話だとか、会話の最中アランのブラックベリーに掛かってくる、いかにもぶしつけ唐突な訴訟がらみの電話だとかがきっかけになり、あららそりゃまずいでしょ・・と思う間もなく、他の面子(特にレディーのお二人)のこめかみにぴくっと青筋が立つのが手に取るように解るから、外野としてはおかしさが余計につのる。

後半は酒の勢いも加わって、四人の怒りの対象が次第に本筋からずれて来る。図らずもそれぞれ夫婦間の不満が爆発したり、男女の価値観差から生ずる諍いにすり替わったりすることで、男同士女同士が妙なシンパシーを抱いたりと、対立の相関図にも変化が出てくるあたりのはちゃめちゃさ加減はとても笑える。理性の箍(たが)が外れると、大人といえども大人げない態度になるとはこういうことですよ。今は誰と誰が味方なんろうなどと、その都度セリフから読み取る確認作業にも忙しくなる。

いったいどこで落すのだろうといささか心配になってくる頃、あたかもバトル終了ゴングのように鳴り響く着信音、きちんと飲み込める結末が用意され、脚本のセンスの良さに舌を巻いていると、エンドロールでもっとシニカルな答えを見せて来るから作り手も人が悪い。

ちょっとだけ難を申せば、イマドキのアメリカ人同士の口げんかだったら、多分お互いに言いたいことを止めどなく言い合って、相手のセリフには耳を貸さないという演出が普通だと思うが、今作は舞台風を貫くことで、誰かの長ゼリフの間、他の三人が手持ちぶさたで控えている・・というシーンが目立った。リアリズムとは一線を画すということかも知れないが、普段演劇に馴染まない者には、やや違和感として写ってしまったのが残念。

そうはいっても、画面に登場しない人物像を想像させる脚本や、議論から口論、次第にバトルにエスカレートするテンポの良さ、膨大なセリフ量で組まれた会話劇の楽しさは字幕からも十分味わえたし、何と言っても役者達が素晴らしい。特に苛つき演技には定評のある女優二人、涙を浮かべて悔しさを絞り出すようなフォスターのセリフ、たまりに溜まった不満を一気に吐き出すがごとく、映画史上に残ると思われる見事なゲロを吐いたウィンスレットには何かの映画賞を差し上げたい。それにしても惜しむらくは、我が身が米語を操れないこと。ネイティブでセリフが解る方にはもっと楽しめただろうと思うと、今までの不勉強を呪うばかり。

Carnage=[名][U]1 大量殺りく, 大虐殺 a scene of carnage(戦場などの)修羅(しゅら)場

 2012/03/8 TOHOシネマズららぽーと横浜


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有名作品多数ポランスキー監督作品群 



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