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少年と自転車 ◆ Le Gamin au velo [いんぷれっしょん]

少年と自転車.jpg「大人とは、歳をとった子どものことだ。年齢を重ねても、自分が歳をとったと感じることはない。ほんの少し若いときより賢く、自信を持っているだけだ。」少し前にウェブで拾った、ある父親が息子に宛てたメッセージの中の一部だ。男の成長について簡潔且つ的確に表現されていて、なるほど至言である。

私には、間もなく成人する歳になる息子がいる。そして、自分は少年時代を経て、今は大人の男として日々を送っている。だからこの作品、薄幸な少年を見つめるような作風に強い親近感を抱き、とても惹かれる。

名匠ダルデンヌ兄弟が、日本で開催された少年犯罪のシンポジウムで耳にした「育児放棄された子ども」の話に着想を得て作り上げた作品とのこと。 物語のテーマを俯瞰してみると、父親に見捨てられ、養護施設で暮らす主人公の少年シリル。偶然出会った女性サマンサが里親になることによって癒され、心の成長を遂げていく様子を、いくつかのエピソードと日常的セリフを積み重ねながら、説明的な言葉やシーンを用いることなく描いているいうというころか。暗喩を味わうべき作品と言い換えられるかもしれない。

他のどの作品にも似ていない、とてもオリジナリティーに富んでいる。まず最初に印象的なのが カメラのフレーミングだ。背景や風景を極力省略して、手持ち撮影による人物のクローズアップを多用。時には人物、特に主人公シリルがフレームからはみ出すような撮り方は、観客が彼に向ける目線のような感覚。カメラと人物の距離が客観性と比例するのであれば、その距離感は登場人物に対してかなり近く、寄り添うような感覚で彼らの周囲に起きる出来事を体感していくという印象だ。無垢で傷つきやすい年頃の男の子へ、思わず手を差し伸べたくなる距離感が絶妙である。

映画的省略という観点で見ると、もう一点特徴的なのが登場する人物への説明だ。主人公父子の家庭環境や、母親の存在については一切触れられない。父が子に告げる決定的決別の言葉。「いっしょには暮らせない、ホームへ戻るんだ。」身勝手な言葉の理由もほとんど語られず、やるせない余韻だけが残り観客の想像力をかき立てる演出には感嘆する。シリルとサマンサとの出逢いから、里親役を引き受ける一連の流れについても同様。人物の心の動きは、見る者のイマジネーションにゆだねられているのだ。

逆に、非常に解りやすい演出も用意されている。劇中、音楽はほぼ皆無だが、ベートーベンピアノコンチェルトが唐突に四回短く流れる部分がある。それはシリルの中でエポックが起きたとき、まず最初、父親との連絡が取れなくなり、ふてくされた彼がシーツにくるまり外界を拒否する態度を取るとき、次に、父に決別の言葉を告げられ、里親サマンサの車の中で強烈な自傷行為に至る場面、三回目は、街の不良少年に誘われて夜の外出をしようとし、咎められたサマンサに抵抗し、傷つけてしまう場面。そしてエンディングだ。 それぞれ場面転換も伴っているので、強いアクセント感が伝わってくる。

身勝手な父親と、無償の愛を注ぐサマンサが対比されながら、必要な時間と過程を経てやがて二人は家族になる。物語の後半、陽光の中自転車で併走する二人。やがて、そのスピードの差に気づき、大人用の自転車に交換してくれと頼むシリル。父から買い与えてもらった愛用の子供サイズMBを、別のものに乗り換えるという行為は、自分を捨てた父との決別であり、大人への階段を一段上ったことの象徴とも受け止められる。そして、続くランチのシークエンスで、二人の心が完全に溶け合っているのを見る。最も明るく暖かい部分だ。

しかし、ここでハッピーエンディングにならず、もう一山用意されている。最後の事件と、エンドシークエンスで描かれるシリルの姿に、彼の成長の跡が象徴されている。過去の罪に対し、「おとしまえ」を付け、本物の男として一歩踏み出すのだ。頼まれた買い物を抱いて、サマンサの元に走る彼が、この後、サマンサに対して語るであろう言葉については、観客全員が同じ想像をするはずだ。そして、その言葉を受け入れる「母親」の姿にも。

2012/4/26 シネマ ジャック&ベティにて


ある子供 [DVD] ロゼッタ [DVD] 息子のまなざし [DVD]

 ダルデンヌ兄弟作品


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