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ヤング≒アダルト ◆ YOUNG ADULT [いんぷれっしょん]

ヤング≒アダルト.jpg「JUNO/ジュノ」の脚本家と監督が、また、強力なキャラクターを世に送り出した。
メイビス・ゲイリー37歳でバツイチ、現在特定の恋人ナシ、美貌の作家だが、実はゴーストライター。ティーンエイジャー向けのヤングアダルト小説を執筆し、ヒット作も持ち都会ミネアポリスの高層アパートで暮らすが、いつしか人気は凋落して小説の打ち切りが決まり、さえない日々を送っていた。ある日ハイスクール時代の元恋人バディから子供の誕生を知らせるメールが届き、一人勝手に燃え上がってしまう。なぜか自分こそがバディに相応しいはずと思いこみ、元カレを取り戻そうと故郷を訪れるのだった・・・

 人もうらやむような美貌の持ち主は、往々にしてこのような人格を作り出すのか?生まれてこの方、その容姿を褒められることはあっても、表だって蔑まれる経験はゼロ。常にちやほやされ、言い寄る男は数知れず、世の中自分を中心に回っていると考えているとしか思えない女王様タイプ。ずっと見下していた周りの人間が、幸福になるのが許せない、。コメディとカテゴリー分けされてはいても、ポスターのキャッチのとおり、あなたはワタシを笑えない・・のである。

 このメイビスを演じたのが、ハリウッドにおいても、いまだ最上級の美貌を誇るシャーリーズ・セロン、その役作りはコワイくらいにはまっている。夜な夜な男を漁り、酒に溺れ、半ばアル中気味、毎朝ゾンビのように目覚め、キティちゃんのTシャツを纏ってダイエットコークをラッパ飲みする。その表情は生活をなぞるがごとくただれ切っていて、それは画に描いたような孤独な都会オンナの姿だ。やがて、ティーンの頃ハマったご機嫌なロックビートをお供に、愛しのバディを奪うため故郷の田舎町を目指す。 さあ、アタック開始!決戦の舞台へ赴く前には、気合いの入ったメイクとエステでピカピカに磨き上げ、やる気満々の勝負服に身を包み、浮かべるスマイルは10万ワットの輝き、凄い凄すぎる。

なぜこのような勘違い女が出来上がってしまったかという背景には、作品タイトルや、彼女の執筆するティーンエイジャー向け小説のカテゴリーに象徴される、心の成長を止めてしまった、あるいは成長できないまま大人になってしまうヒトビトが往々にして生息するからだろうとは容易に推測される。故郷滞在中に執筆している小説に、傍らで会話するティーンの会話をすっと挿入してしまう感覚が、メイビスの精神年齢を象徴しているのだろう。

 彼女の無茶な計画は成就するはずもなく、楽しいはずのベイビー名付けパーティをブチ壊すことでめでたく破綻し、女王様も深く傷つく。そんな彼女を癒すのが、ハイスクールでは最下層に置かれていた冴えない男マットとその妹。過去に受けたイジメにのよる暴行の後遺症で、下半身が不自由というハンデを受け入れて生きる男と、メイビスに憧れ続けた田舎娘。ややショッキングなベッドシーンと、その翌朝女二人が交わす会話によって、失意の女王様も新たな一歩を踏み出すのだ。執筆する小説の主人公の言葉を借りて告げられる、彼女自身の決意表明をどう受け止めるか、とてもあっさりしていながら、見る側が試されるエンディングでもある。

セロンは、オスカーに輝いた「モンスター」をはじめ、出演作のチョイスが面白いタイプの女優と見ている、上演前の予告で見ると、キレた女王様の次は「白雪姫」の魔法の鏡を使う母親(継母?)王女役とか。さあ、どんな冷酷女を演じてくれるのか?今作で見せてくれたヌーブラ下着姿にも増して興味が高まる?(笑)


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人生はビギナーズ ◆ Beginners [いんぷれっしょん]

Biginners.jpg 鑑賞した映画作品を好きになるかどうかという基準はどうやって決まるのだろう。劇場のシートに座りながらぐいぐい引き込まれるようなものは当然とすれば、あとで反芻し、自分の価値判断や趣味に照らして、作品の出来映え評価や好みとのマッチングなどをしながら、心の中のライブラリーのどこにしまうかを考えるという手順を経るのものもあるかもしれない。 映画を沢山見ている方には、良い作品だと思うけどキライとか、逆に駄作だけどスキというひねられた感情が交ざることもあるが、大概は「楽しめた」イコール「スキ」という評価が下されることが多いのではないだろうか。

マルチなクリエーター、マイク・ミルズ監督が、自身と父との体験を基に映画化したという私小説的なこの作品を、私はとても気に入っている。かなり好きな・と表しても良いかもしれない。しかし、それはストーリーの進行と共に沸き上がってきた気持ちというより、見終えた後に少し時間をおいてから気づくという感じ、ほのかなユーモアが漂い、全体にとても柔らかく作られ、暖かみに満ちあふれた作風は、じわじわっと心に浸みてくるサプリメントのような印象だった。

 主人公のオリヴァー(ユアン・マクレガー)は母の死後、高齢の父ハル(クリストファー・プラマー)から自分がゲイであることを告げられる。過去に結婚に失敗し、内向きな性格も手伝って、暗めの人生を送っていたオリヴァーにとっては晴天の霹靂だが、そんな息子のとまどいをよそに、既に病に犯され、余命が短いことを知りながら、残った人生を謳歌していく父親。母親の生前抱いていた頃の印象とはまったく違う人生に踏み出す父の姿に影響を受け、自分の殻を破ろうと踏み出す彼に、厳しくも訪れた父との別れ、再び落ち込みがちな彼の前に現れたのは、風変わりな美女アナ(メラニー・ロラン)、一種似た者同士の二人はすぐに距離を縮めるが・・・。

何と言っても、主な登場人物三人の演技者プラス犬のアーサーが素晴らしい。 クリストファー・プラマーは、自身の余命を知りながら、新しい生き方に突き進むチャーミングな老人を見事に演じ、ユアン・マクレガーは、人生に悩みなが ら、父の最期を共に歩み、死後再び心を閉ざす息子を好演し、メラニー・ロランが演じる、そんな悩める恋人に寄り添う不思議な魅力を持つ女性像はとてもエキゾチックで魅力的だ。 そして、オリヴァーが引き取った父の飼い犬、愛くるしいテリアのアーサーが時折投げかけてくる(人の言葉で!)シニカルなフレーズのセンスは抜群!

 作品全体は短めカットにより組み立てられ、時系列を行き来し、まるで主人公の記憶の断片を見ているような作りだ。現在進行中のアナとの関係、そこには息子に対して送られるアドバイスのように、父の生前の記憶が挟まる。やがて、父の死期が迫るのと対照的に、息子には喪失感から解放され、新たな一歩を踏み出す時がやってくるという、それは緻密に計算された見事な構成でありながら、プライベートビデオを見るような感覚にも近く、登場人物と私達観客の距離は、知らずのうちに無くなり、彼の友人の一人のような目線になっていることに気づく。

 生きることは常に未知のテーマに向き合うこと、たまにはその前で途方に暮れたり、考え込んでしまうこともあるのが人間だとしたら、この物語から最後にプレゼントされるワンフレーズを思い出して見るのも悪くない。きっとそんなとき、人生の初心者へちょっとの手助けをくれたり、背中を押してくれる人は誰の周りにも必ずいるはずだから。

オマケ:オヤジ鑑賞者としては、ちらりと見せてくれるメラニー・ロランのかわいいおっぱいにも1800円払った価値を見いだすのでございます。

2012/2/9 チネチッタ川崎にて


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マイク・ミルズ監督の代表作。


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琉神マブヤー [いんぷれっしょん]

琉神マブヤー.jpg今、日本で、ロードショー作品を劇場鑑賞すると、大人は1800円也を支払うことになる。最近は集客増のため、色々な割引きを設定しているところもあるが、基本はそうだ。1800円という金額はどのような価値があるか考えてみると、例えば吉野家の牛丼なら、並盛り4.7杯食べられて、ビッグマックなら5.6個が買える。ユニクロではカジュアルなシャツがおよそ一枚買えるし、サッポロ「麦とホップ」なら、350ml缶17本くらい買える。 つまり、デフレ日本においては、そこそこの価値を持つ金額なのだ。

通常1800円也を払って劇場で映画を見るとき、およそ二時間を消費し、対価に見合う感動や充実感がどのくらい得られるかという計算を多少はするであろうというのが、消費者としての心理であるとすれば、多少興味があるけど、一般料金で見るのはちょっとなーという曖昧な位置にいる作品も多々存在する。この「琉神マブヤー」は、まさにそのあたりにポジションを取る、とても微妙な作品だ。

2008年地元沖縄で放映されるや、老若男女おしなべて大人気を博したという当地ヒーローの映画化。海の向こうの理想郷・ニライカナイからやってきたマブイ(魂)の戦士…勇ましいルックスに似つかわしくない「ちむぐくる」を持つ心優しきヒーローが、沖縄人の美徳「七つのマブイ」を守るため、悪の軍団マジムンと戦うべく奮闘する・・・・。

全体の雰囲気はBマイナス級といったところだろうか? 沖縄独特のゆるーい空気に満ちて、アクションヒーローものながら、全編沖縄独特のイントネーションやたまに字幕付き!うちなーぐちで語られるセリフは、勇ましいはずの戦闘シーンにさえ緊張感がほとんど無く、俳優と呼ぶにはあまりにもへっぽこな出演者達の、学芸会レベルの演技にも脱力感満載。登場するヒーローや悪の怪人達も、昭和のデパート屋上で繰り広げられたショーとほぼ同じレベルのキャラクター。 エキストラとして多く登場する地元の皆さんへの演技指導も、わざと外しているのではと勘ぐりたくなる。

設定も大変にぬるく、おばぁにマブイグミされヒーローとなった主人公は、敵を前にしても尻込みばかり。悪の軍団マジムンたちが、うちなー征服のために動くのは昼間だけ、日が傾けば毎夜飲めや歌えやの暢気三昧ときたもんだ。

しかし、なぜかそれらがすべて気持ちいいから不思議だ。私は沖縄とは縁のない人生を送っているから、その魅力をほとんど知らない。友人知人の中には、まとまった休みが取れた場合には、迷うことなく沖縄に行くというスタンスを崩さない者が何人かいる。いつも同じところばかり行ってどこが面白いの?と、半ば冷ややかに見ていた自分の曇った目が今は少し恥ずかしい。

乱開発や基地問題、成人式で暴れる若者達、沖縄の動向が私達に伝わるのはネガティブなテーマが多いけれど、うちなんちゅーすべての体に宿るという七つのマブイ「勉、健、食、勇、忠、忍、情」は、誇り高き琉球の人々のアイデンティティそのもの。 そして物語中たびたび登場する「ちむぐくる」、欧米式のグローバリゼーションに、ややくたびれてきた日本人の心を癒す大切なキーワードかも知れない。、うちなんちゅーに学ぶべきことはどうやら多そうだ。

大枚1800円の価値を見いだすのはちょっと難しいかもしれない、言わば変化球作品。 しかし、日々慌ただしく暮らすやまとんちゅもひととき力を抜くためリゾート空気を味わいに行ったと思えば格安・・。あるいは割引き鑑賞価格、1000円程度なら見てやってもいいかなと思える設定そのものが、作り手が狙ったコン セプトとしたら、沖縄恐るべしと言う評価も在りか(笑)

【ちむぐくる】沖縄の方言で「人の心に宿る、より深い想い」を指すと言われ、漢字で表すと「肝心」となり、標準語の「肝心(かんじん)」とは  異なる意味を持ちます。
”うちなんちゅの心”、””真心”、”思いやりの心”、”心の奥底から湧き上がる身体全体で相手を思う気持ち”等々の意味があります。[うるま市の公式HPより]


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永遠の僕たち ◆ Restless [いんぷれっしょん]

restless.jpg

主人公イーノックは、赤の他人の葬儀への参列を繰り返す、不思議な行動を続ける少年だ。その死者への異常な執着の背景は語られず謎のまま物語は進む。もう一人の主役、不治の病を抱え余命短い少女アナベル、ある日出会った二人は、風変わりなデートを始め、やがて恋に落ちていく。過去に多くの名作が取り上げている古典的とも言える設定は、ある意味約束された結末へと進んでいくのだろう。どう料理し新しい味付けを見せてくれるのか、名匠の手腕へ期待が高まる。その意味では、主人公にとって、唯一心を開ける存在として、特攻隊員の亡霊であるヒロシを配したことが、彼の心の声を聞くためのツールとして、とても異色で面白い。

物語のトーンはとてもフラットだ。死をメインのテーマに据えながら、過剰な演出は一切用いず、淡いコントラストで、絵画やスチール写真を見るようなシーンを多用する画面は、登場人物の心を読み解くために作者から用意された休止符のようだ。あるいは小説の行間を読むような感覚にも似ているのだろうか。

共に死を身近に感じさせながら、相入れない境遇である二人。お互いを補い合うように惹かれていく過程で、イーノックは我が身に降りかかった死のにおいを脱ぎ捨て、アナベルは自身の運命を受け入れていく。 エンディング近く、死期が近づいた恋人を前に、謎のままだった、かつて彼自身に起きた悲劇とトラウマが吐露されるとき、子供っぽかった彼、身勝手に見えた彼が見事に脱皮するのを見る。そして、もうひとり、若くして戦死したヒロシが、特攻前に想いを寄せた女性へ向けて書きながら、渡せずに持っていた手紙を読むモノローグが流れる。自ら命を捨てることを要求された日本の若者の美しい心が集約された文章には、涙せずにはいられない。そして、ずっとイーノックに寄り添い続けたヒロシが、旅立ちを前にしたアナベルの水先案内を買って出るとき、この切ない物語は見事な集約を見せてくれる。

若き日、自分を取り巻くすべては愛情世界でありその外側に広がる友情世界だった。そしてそれは何ものにも代え難く、犯されてはならない尊い世界だった。恋愛対象に向ける思いは、永遠に変わらないものと思ったし、友情も不変と信じていた。やがて少しずつ大人への階段を登り、視野が広がるにつれ、それまで自分にとって一番大事だと考えていたこれら世界の外側に、もう少しリアルで、無限に広がる繋がりがあることを知るようになった。そして、それらは生きる糧を得るため、自分の居場所を守るために不可欠な関係を与えてくれるけれど、若い頃大切に思っていた世界とは少し違うことにも気づきだした。大人の価値観を身に付けるってことだ。だから、大人になると、自分の周りには若い頃大切にしていたのと同じような、愛情世界や友情世界はあまり意識しなくなる。でも、みんな昔は若者だった。だから、上質の作品に出会い、そのころ大切だと思っていた世界に再び触れることがあると、純粋だった自分を思い出したり、恋愛や友情の対象だった相手を懐かしんだりできる。

ガス・ヴァン・サントは代表作「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」で、若者の壊れやすい繊細な心を見事に描いて見せた。今作も、トーンはやや違うけれど、若さと死をテーマに据え、ティーンエイジャーのみずみずしい感性が溢れている。ラストシーンで、イーノックが見せる笑顔は、もう忘れてしまったかもしれない、幼いけれど無垢だった頃の心を呼び覚ましてくれる、爽やかな呼び水となって浸みてくるのだ。

2012/01/12 立川シネマシティにて



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宇宙人ポール ◆ Paul [いんぷれっしょん]

宇宙人ポール.jpeg2012年最初の劇場鑑賞は、痛快オバカSFロードムービーだった。

イギリス人のSF作家と相棒で同じジャンルを得意とするイラストレーターのコンビ、クライヴ(ニック・フロスト)とグレアム(サイモン・ペッグ)が、アメリカにやって来たのは、共通の仕事と趣味である“コミコン”参加と、全米に散在する“UFOスポット巡り”が目的だ。趣味と実益が同じという羨ましい人生を送っている二人が、念願かなって喜々としている姿は、むさ苦しいオタクオヤジ二人ながら誠にほほえましい。

深夜の田舎道、二人のキャンピングカーを追い抜いた刹那にクラッシュするセダン。派手でドラマチックな展開の後、立ち上る煙の中、二人のヘッドランプの弱い光に照らされその姿を現すのがもう一人の主役、グレイ型宇宙人「ポール」だ。にわかに走る緊張・・しかしその口から発せられるセリフは、私達が刷り込まれた宇宙人のイメージを180度覆すものだった・・・。

何といってもこいつのキャラが最高だ。その昔、宇宙船の故障で、望まないまま地球に落ちてきて、60年に及ぶ滞在の間に、すっかりアメリカナイズされてきた彼は、陽気でフランク、ちょっと下品でお調子者という、現代の典型的アメリカ人そのもの。最近大活躍のセス・ローゲンがアフレコを担当していると知れば、そのキャラクターにも想像つくかも。故郷の星に戻るため、仲間とのコンタクト地点まで行くのを手伝ってくれと言うポールの願いを叶えるため、珍道中が始まるのだ。

ほぼ全編に、過去の名作、特にSF映画やTVシリーズ作品を彷彿とさせるシーンがちりばめられていて、随所で吹き出させてくれる。それは英国人の作家から見た、アメリカンカルチャーへの愛情溢れるパロディだ。客にとっては、どの作品に思い入れがあるかでウケるツボが違うだろう。 ちなみに私が一番「にんまり」したのは、ポールが迎えに来る仲間とのコンタクト地点に選んだ、過去に巨大UFOが降り立ったことのある岩山だ。たどり着いた際にポールの放つセリフ「見れば解るって言ったろ?」・・おっしゃるとおりでございます。 更には、ポールがカミングアウトする、囚われの間のエピソード、過去に活躍したアメリカ人のポップカルチャー・クリエイター達に助言や影響を与えていたという逆説的な設定は面白すぎですよ。

一方で、二人が出会う現地人の描き方には、ちょっとしたアイロニーが漂う。宿泊先でゲイカップルと勘ぐられたり、妙な趣味のよそ者として因縁付けて絡んで くる おっさんがいたりと、どうにも気分が悪い。そもそも、ポールを追いかけている謎の組織も、いかにもうさんくさく描かれているし、異星人と出会い行動を共にすることになる彼らを、自分たちと相容れない異質のものとして拒否しようとする姿は、現代アメリカに今なお存在する陰なる部分へのキツイ一刺しだろ う。

旅の終盤、クライマックスシーンでは、ポールの特殊能力を絡めたグッと来る展開も用意されている。コメディに深みを与えるお約束の構成とはいえ、なかなかにうまい。 ほろりとさせられたあと、全体の味わいを崩さないよう予想通りのオチがくるのも好感度大。そして極めつけ、政府機関の切り札として逆光の中風を受けて颯爽と登場するボス、「ビッグ・ガイ」には大拍手だ。

日本では非常に小さな扱いで、上映館が限られるが、久々に登場したナイスキャラ「ポール」。等身大のフィギュアがあるなら是非とも購入したいと思うところだが、どこに鎮座させるかで家人と揉めるのが目に見えているので、もし目撃しても思いとどまることにしよう。

=オマケ= 川崎チネチッタでは、三人以上で鑑賞し、自分が宇宙人だと告白すれば(もちろん自称で可)鑑賞料金の割引きサービスがあるとか、いいぢゃないですか。こういう悪ノリサービスは大歓迎、日本の劇場もなかなかやるね。 

2012/01/12 立川シネマシティにて



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4デイズ ◆ Unthinkable [いんぷれっしょん]

4でいず.jpg原題『Unthinkable』普通に訳すと「考えもつかない」[想像もできない」といったところか?今風に表現すると「あり得ね~」とでもなるのだろうか?密室で繰り広げられる個対個の戦いは、超大国が今なお続けている、対テロ戦争の縮図そのものだった。

イスラム教に帰依したという白人米国人が、アメリカ国内大都市の何処か3カ所に核爆弾を仕掛けたというテロ声明のビデオが送られてくる。対応にあたるFBIの女性捜査官ヘレン(キャリー=アン・モス)だが、捜査を進めるうちに自分を含む数人が、廃校のような施設に捜査拠点を移すよう指示される。怪訝な思いのまま命令に従っていると、なんと容疑者ヤンガー(マイケル・シーン)はその施設内に拘束されていた。既に水攻めによる尋問を受けながら。法の番人を自負するヘレンは不法行為をやめるよう進言するが、受け入れられない。案の定口を割らない容疑者の元に“H”(サミュエル・L・ジャクソン)と呼ばれる男が連れてこられる。一部の上層部以外には正体が知らされていないHは、拷問を専門とする取調官だった。前任の尋問担当を殴り倒し、その任に付いたHの「尋問」は、正に「想像を絶する」ものだった。

知性と理性を兼ね備えた常識ある米国市民の象徴として描かれる捜査官ヘレン、一方、 リアリズムに徹し、大多数の利益のためには少数の人権侵害など意に介さない、力の象徴として描かれるH。好対照の二人が、容疑者を巡り対立する光景は、軍をはじめとする米国内の保守的指導者とリベラルな市民感情との温度差にも通じて興味深い。常に敵を作り、戦争を続ける超大国、冷戦の後、湾岸~イラク戦争を経て、現在進行中のテロとの戦い、正々堂々宣戦布告をし合った国対国ガチンコ戦争とは異質、思想で繋がり国境を越えた姿の見えない組織相手の非正規戦争において、様々な面で疲弊し、出口を探し始めたアメリカの今のタイミングで製作されたことにも、作り手のセンスが光っている。

国際法で厳しく禁じられている拷問は、グロを売りにした一部の映画作品以外ではあまり目にしない。本作はそれを主題に据えているから様々な拷問手法が描かれるが、勿論「その」シーンが生映像で見える訳ではない。痛い場面がお好きで期待を持たれた方には物足りないかも知れないが、普通観客のイマジネーションを刺激するには十分で、血を流し絶叫するヤンガーの姿や、抜かれて散らばった爪、あの「マラソンマン」で有名になった、「歯の治療跡」からは、なぜそこまで耐えるのだろうかと考えざるを得ない痛みが強烈に伝わって来る。

ひとり捕らえられ、自分の命を賭して大国を相手取って戦いを仕掛けた男、蟻が恐竜に挑むような設定ながら、どちらが優位で主導権を握っているのかは、内容を観れば明らかだ。尋問のプロとして平静を装いながら次第に追い詰められて行くのはH、つまりテロリズムに対しては、常に守りを取らざるを得ない米国の状況に酷似しているという訳だ。犯罪者を扱うプロとしてのぞみ、ヤンガーの良心に訴えかけることで、説得に成功したかにみえたヘレンの手法が、あっさり裏切られ、多数の犠牲者を出す結果には、駆け引きや心理戦においても、テロリストのほうが優位であることを暗示している。

手詰まりの中、爆発のリミットが近づくと、Hは信じられない切り札を切ろうとする。これには驚くが、冒頭、街頭でヘレンが子供と交わすやり取り、Hの子供や妻の身の上を披露するシークエンスなどが伏線になっているとも見えるが、憎悪の連鎖による殺し合いにおいては、理性や良心などなんの抑止力も持たないという冷徹なメッセージでもあるのだろうか。

あまりにショッキングすぎる結末として米国での劇場 公開が見送られ、DVDスルーとなった作品が観られる日本は、まだテロとの戦いにおいては直接巻き込まれていない証拠でもあり、喜ぶべきことなのかもしれ ないが、イラク戦争の初期において「全面的に支持する」とすかさず表明した首相がいたことを思い出すと、いずれ対岸の火事から飛んでくる火の粉を被る日が 来なければいいなと、いらぬ心配も頭のすみを横切ったりするのだ。

そういえば、「ブッシュのプードル」と揶揄され、テロの標的にされた一流国の首相を扱ったサスペンスも見たばかりだなぁ。

オマケ:時限爆弾を扱ってはいるとはいえ、タイムリミットをサスペンスの中心に据えたのではない作品に。このタイトルは無いだろ~!と強く異議を申し上げたい。配給会社、もうちょっとセンスを磨いてくれ。

 

2011/9/28 TOHOシネマズららぽーと横浜にて


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ミケランジェロの暗号 ◆ Mein bester Feind [いんぷれっしょん]

michelangelo.jpg 第二次大戦中、ホロコースト下のナチスをモチーフにした映画というと、高圧で残虐なナチスドイツに対して、謂われ無き理不尽な犠牲者であるところのユダヤ人というのがテーマとして多くが作られているのは周知の通りだが、本作はそんな刷り込みを覆される作品だ。スリリングでウィットに富み、時に笑いさえも誘う、上質の痛快エンタテインメントだった。

第二次大戦下のオーストリア・ウィーンで画商を営む裕福なユダヤ人カウフマン家。そこの跡取り息ヴィクトルと、カウフマン家に長く使えた使用人スメカルの息子ルディ、幼なじみで親友だったこの二人が、戦争とナチスのユダヤ迫害を背景に、それぞれの立場が変わってくることが話の幹になっている。
 
カウフマン家には国宝級の価値を持つであろう、ミケランジェロの素描画が所蔵されていた。気心の知れたルディに、酔った勢いも手伝ってそのありかを教えてしまうヴィクトル。その直後、ルディはあろうことかナチの親衛隊に入隊してしまうのだ。そして自分の手柄にするため、噂を聞きつけたSSを通じて、ヒトラーに献上しようと画策し上官に通報してしまう。絵は没収され、哀れカウフマン家はちりぢりになって収容所送りに。しかし、同盟国イタリアの独裁者ムッソリーニ来独に際し、貢ぎ品にされるはずの名画は、実はヴィクトルの父ジェイコブが密かに贋作とすり替えていたのだ。面子をつぶされたSSは、怒り狂いルディに本物の奪取を命じ、絵のありかを聞き出すためヴィクトルは収容所から出される。そしてここから二転三転のドラマが展開し、俄然面白くなってくる。名画のありかを知っているのは収容所で死んだ父のみ。しかしヴィクトルは父の残した謎の遺言を頼りに、絵のありかを探りつつ、起死回生を企てる。その後、絵を入手するためと称してチューリッヒに向かう二人が乗った輸送機はパルチザンによって撃墜されてしまい、どうにか助かった二人だが、ここでヴィクトルは機転を働かせ、ルディから制服を騙し取り、自分がSS隊員に成りすまし入れ変わってしまうのだ。俺が本物の伍長だと騒ぐルディだが後の祭り、さあ絵と二人の行方は?。

幼なじみで家族のように付き合い、共に若き日をすごした青年二人が、その立場の差を超えて親友であったと思っていたのは、実は幻想だったいう冷たい現実。少なくともルディの心には二人の間に厳然とあった、彼にしか見えない溝があったのだろう。それがナチの台頭により立場が逆転する。SSの制服という「虎の衣」を纏ったことで、ずっと隠してきた、あるいはコンプレックスともいえる感情を解き放つチャンスを得るわけだ。ルディの野望ともいえるこの考えが、このおもしろ悲しい物語の発端だ。

冒頭、ヴィクトルの画廊にルディが久しぶりに戻り再会を喜ぶ二人、そこに悪ガキどもが現れガラスにユダヤを表す六芒星をいたずら書きする。怒った二人とガキどもは喧嘩になり、二人は留置されてしまう。父ジェイコブの力で間もなく自由になる二人、カウフマン家の力を表すエピソードではあるが、ナチ化したウィーンの状況を説明するシークエンスとしてはどうなの?とちょっとした違和感を感じていた。しかし後で思い返すと、ここが物語全体に共通する、人が下す他者への価値判断の硬直を暗示する導入としているのではという気がしてきた。マークを付けることで、その人物をグループ分けしようとする。衣服が変わるだけで、どのような地位や組織に属するか第三者には見分けが付かなくなる。本人が語る言葉より状況証拠が優先される。つまり、個人のアイデンティティへの評価や判断などは、その人が身につけているものや、それまでに抱いていた先入観、他者の評価などによって左右されて形づくられ、ほとんどの人の目には公正な判断など付くはずも無いものなのに、自分の意思や正しい基準として無意識に行ってしまう。うまいたとえが見つからないが「裸の王様」「馬子にも衣装」でどうだろう?人の目のいい加減さ、愚かさへの警告としても興味深い。

それを逆手に取った行動で窮地を逆転していくヴィクトルなのだが、ストーリーの鍵になる400年の歴史を経たミケランジェロの名画とて同じで、専門の鑑定家以外はだれもその真偽が解らないから、贋作を本物と信じて、こわもてSSの幹部がさかんに有り難がって見せるのも滑稽であり、作り手のナイスセンスと思う。

 二転三転四転五転、はらはらさせられるシーンは途切れることなく、最後までスクリーンに釘付けされ退屈とは無縁。サスペンスとしても一流と思うし、時折入ってくるコミカルな演出もナチものとしては異色。人物の描写も細かい部分でウィットに富む、エンディングの余韻も超上質、満足度高いエンタティンメント作品として高得点を差し上げたい。以前見た、似たようなテイストの作品があったなぁと記憶を辿ってみたら、同じ第二次大戦中のドイツをテーマにした「ヒトラーの贋札」があった。なるほど、どちらもナチス=残虐非道というイメージとは一線を画すと言う点で近いと思っていたら、同じ製作スタッフとのこと。大いに納得。唯一惜しまれるのが邦題、ご覧になってその「どうなの?」感を実感していただきたいが 作品のクオリティとしては現時点で下半期マイベスト3には入れたい良作だ。

2011/09/15 チネチッタ川崎にて


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テリー伊藤さんにクリソツの偽札作りプロが大活躍

 


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あぜ道のダンディ [いんぷれっしょん]

azemichi.jpg自分と同じ年頃のおっさんを、20代後半の映画監督がどのように描くのか、興味を持って劇場に足を運んだ。 前作では、その独特の世界で私達を魅了してくれた新鋭監督が新作で届けてくれたのは、年頃の子供を持つ中年男やもめの奮闘と、家族のつながりをテーマにした心暖まる作品だった。

北関東の小都市に住む、主人公「宮田淳一」は、若くして妻を亡くし、男手一つで子供を育てて来た。浪人中の長男と、高三の長女は、共に間もなく大学受験を控えている。特技も学歴もない宮田は、トラック運転手として地味な会社勤めをしている。さしたる趣味もなく、ストレスのはけ口は中学生からの友「真田」と汲み交わす日々の酒。 が、ある時から自分はガンで余命いくばくもないと思い悩みだす。自分に残された時間の中で子供達との想い出を作りたいと願い、真田に病のことを告げ、後のことを託そうとするのだが・・・。

出だしはとても痛い。母親のいない家庭は、こうもぎくしゃくするのか?すべてに不器用な宮田が、本来なら唯一安らげる筈の場所である家庭で、子供との距離感を計りかね、最低限の会話さえできない。子供達は父と目線さえ交わさない。思春期の子供がいる家庭には共通の現象かもしれないが、間に入ってクッションの役割を担ってくれるはずの母親が不在であることがこんなにも重苦しい空気を生むのかと今更ながら驚く。石井監督、平成日本の父親像を非常によく理解しているぞと期待が高まる。

宮田は、通勤の自分自身に鞭を入れ自転車を走らせる。妻が先立ち、寂しいのにそんな素振りは見せない。子供二人を私大に生かせる金などないのに、心配するなと強がる。唯一弱みを見せられる旧友真田の 「奥さん死んで大変だよな?な?」という問いに「五十男が大変なのは当たり前だ」とうそぶく。これが彼の貫こうとする父親像なのだ。男は弱音をはかない、男は見栄を張る、男は陰ながら思いやる・・・のである。が、自分の病が妻のそれと同じと思った宮田が取ったのは、子供達と共有できる楽しい思いで作りだった。息子と同じ携帯ゲーム機を買い、娘とプリクラ写真を撮りに行きたい・・・。突然のように子供に歩み寄ろうとする父親は、案の定思いっきり外してしまう。

こういう父の姿を目の当たりにすることで、もう一方の当事者子供達はと言うと、これが相変わらず素っ気ない。もう少しオヤジの気持ちを解ってやれよと説教のひとつもくれてやりたくなった頃、いつしか、初めの冷淡な態度から抱く、食えない若者達という印象が次第に変化してくる。それは息子「俊也」が真田に語る言葉で遂にはっきりするのだが「わかっています!なめないでもらっていいですか!?」 兄は妹の進路を案じ陰ながら面倒をみていた。それどころか父の稼ぎを解っていて、自分たちの東京での暮らしのため生活費を貯めていた。不器用でかっこわるいが、懸命に生きる父親を本当は愛していて、それを旨く伝えられない自分たちにももどかしさを持っていたのだ。

こうして、ほぐれだした親子の心のもつれは、少しだけぎくしゃくした感じを残したまま、子供達は旅立ちの時を迎える。 父はダンディズムという鎧から、こぼれ出た弱さを見せ、子供達はその弱さから父の本心を知ることで、立ち止まったまま詰められずにいたお互いの距離が近づいたことを知る。このように全編に流れる、気づかないうちにずれてしまっていた親子の思い、どこの家庭にも起こりうるすれ違いの風景は、子を持つ親になら強い共感を持って受け入れられることだろう。

石井作品に共通のエッセンスは、その鋭い観察眼によって描かれる、普通に生真面目な日本人の醸すそこはかとないおかしさだ。本人が一生懸命なのに、時として他者の目にはそれが滑稽に写ることをよく解っていて、それを笑いにつなげていく。大爆笑に包まれるというより、場内にはいつも「クスリ」という笑いが漏れる。しか し、その笑いの質は、嘲笑ではなく共感から来る苦笑であり、暖かさを孕んでいるところに作り手の愛情を感じるのだ。

加えて今作は、家族との繋がりや男の生き方という、ややもすると随所に感涙をさそう作品になりがちのところ、独特の寸止め演出にまんまとはまって、ぐっと来る直前に何度も止められる。そうしておいて、最後の最後にほろりとさせられるから客はたまらない。
スクリーンでいつも主役を張る大物俳優ではないキャスティングも作品のテーマにベストマッチ、格好悪くても一生懸命に生きる男達への応援歌のようだ。地上の星々には、明るく輝く一等星もあれば、気をつけて見なければ存在さえ気づかない5等星もあるだろう。でも、それだって一生懸命光ろうと努力しているんだなぁ~なんて、あの男を泣かす名番組のナレーションを担当した「真田」の声を聞きながら、最後に思ったりしたのだ。

川崎市アートシアター アルテリオ映像館

川の底からこんにちは [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • メディア: DVD
  • 石井裕也監督作品といえばこれ

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スーパー ◆ SUPER [いんぷれっしょん]

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全国的にひっそり小規模ロードショー公開中。
 
まるっきり冴えないオヤジがコスプレヒーローになって世の悪を正そうと大活躍??
主演レイン・ウィルソン、誰だっけ? しかし脇を固めるのがエレン・ペイジ、 リヴ・タイラー、ケヴィン・ベーコンとなかなかの大物揃い、こういうのはきっと何かあるんだよ・・という根拠のない嗅覚を便りに大枚1800円也を払い勇気を振り絞っての鑑賞。しかしてその直感は見事に当たりました・・・なかなかやるじゃんオレ!!
と言うわけでちょっと異色のアメリカンヒーローストーリーの始まりはじまり~。

地味で小太り、それまでの人生でシアワセな想い出は二つだけという主人公フランク。そのうちのひとつが、美人でセクシー自慢の妻サラとの結婚。しかし、実は彼女元々ジャンキー、ある日その本性が現れ、ドラッグディーラーのかっこいい男の元へ去ってしまうのです。フランクは失意のどん底で意を決し奪還に赴きますが、あえなく返り討ちに。警察に捜索依頼をするも、痴話話と取り合ってもらえず益々がっかり。しかし、ここから急展開。フランクの身に何と神の啓示が降りるのです(このシーン結構キモいのだけどね)。ヒーローになって世の悪と戦うのだ!! そして、NHKEテレも真っ青のキリスト教専門チャンネルに登場する正義のヒーローにインスパイアされ、深紅のコスチュームに身を纏った、「クリムゾンボルト」が誕生する・・・と、アマチュアヒーロー誕生までの経緯はこんな感じ。

普通のおっさんがヒーローになったらどんな行動をするんだろう・・デビューしたばかりの「クリムゾンボルト」のオマヌケぶりはかなり笑えます。たった一人でする世直し活動とは、物陰に隠れひたすら事件の発生を待つ日々、そりゃそうだ誰も通報してくれないんだから。ヒーロー日誌には、「今日は何も起らない平和な日だった」しかありません。そこでフランクさん考えた、役所へ行って事件発生の多いポイントを聞き出した。うん、なかなか頭いいぞ。しかし、もともと格闘技の達人でもない即席ヒーローは、街のチンピラさえ征伐できない。そして再び考えた、必殺の武器を持たねば・・こうしてでっかいレンチを手にしたクリムゾンボルトの形が出来上がるのでした。
ヒーロー活動がそれなりに軌道に乗ったかなと思う間もなく、とある事件をきっかけに少し自粛ムードへ、しかし、話がややこしくなるのはこれからです。ヒーローのお手本をリサーチするために訪れたコミック屋のオタク女店員リビーが、彼の正体に気付き、仲間に加えろさもなくば正体をばらすぞとごり押しするのです。こうしてサイドキック「ボルティー」が誕生します。しかし、この娘が思いっきりキレていて手が付けられないから大変。アマチュアヒーローの線を簡単に越えて、大バイオレンス大会に突入してしまいます。さあどうなる・・ とまあ、前半のあらずじはこんな感じです。

この映画、実はオープニングのアニメからしてかなりグロな描写がされています。それにほぼ近いようなシーンは、ボルト&ボルティーがペアになってから、妻の奪還に突撃する終盤場面まで存分に見られます。つまり、ふつうのヒーローモノなら悪人をぶっ倒して「やったぜ!」で終わるところを、やられた相手の思いきり「痛い」ところまでをリアルに写してしまうのです。 例えば「ボルト」の必殺武器レンチで額を殴られぱかっと割れてしまう割り込み男とか、ボルティーが運転して突進した自動車と壁に下半身を挟まれてもだえ苦しむチンピラとか、さらには爆弾で両手を吹っ飛ばされて痛がる男とか、内臓まき散らす悶絶男とか、そしてそれはついにはボルティーの身にも起ってしまうのです。つまり作り手が言いたいのは、ヒーローのやってることなんて所詮は暴力なんだよという恐ろしいくらいのリアリズムなのではないでしょうか?
あるいは、もう一歩踏み込んでこんな風に考えてみたらどうでしょう。ある悲しい事件をきっかけに、頼まれもしないのに勝手に自警団になり、過剰な武力で相手をやっつけて、「黙れ悪党ども!!」と叫ぶ。そして自分は世界中の正義と自由を守るヒーローだと高らかに宣言する・・まるで何処かの超大国がやっている戦いみたいではないでしょうか?

そこまでは深読みし過ぎ?と思わなくもありませんが、例えばフランクが手本にした「ホーリーアベンジャー」の胸にでっかく記された十字などを見るに、キリスト教的価値観が支配するその国へのちょっとした警告にも見えてしまうのです。

まあ、裏読み深読みなど何処かへ置いておいて、馬鹿笑いしながらかわいそうなおっさんの大活躍に、同情と少しの拍手、そして最後にちょっとだけじーんとさせてもらうだけでも1800円の価値はある掘り出し物と思いました。 あるいは、いい年こいてチンピラあんちゃんが似合い過ぎているケヴィン・ベーコンのやんちゃぶり、そして何より「ボルティー」エレン・ペイジがヲタク→イカレバイオレンス→エロと進化する大暴走は一見の価値があります。最近はすっかり大物女優という扱いになっていますが、しっかり見直しました(笑)


横浜ニューテアトルにて

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ミスター・ノーバディ ◆ Mr Nobody [いんぷれっしょん]


mrnobody.jpg 同じ作品を鑑賞した者同士で、その意図や出来映えについて語りあうことは誰しもがあるだろう。それは知的な遊びであり、映画を愛好し、ある程度以上の作品数を見ている方にとっては至福の時かもしれない。例えばこうして感想文なりをブログに書くこと自体がその一端であり、ネットの掲示板などで意見を交換するなどという行為も同列だろう。このミスター・ノーバディはそんな立ち位置で映画を見る者にとっては、ちょっとした知的な好奇心の充足と余韻が十分に味わえる非常に完成度の高い作品だ。
 あるいは映画作品の上映期間中劇場にに2回以上足を運ぶことがあるだろうか?ビデオ化の早い昨今ではそんな機会も非常に少なくなったが、一度目の鑑賞を終えたとたんに二度目が見たくなる作品。そんな風に形容してもいいかもしれない。

 ある青年が数パターンで死に至るシーンを次々に見せるオープニング。自宅のプール、モルグ、自動車事故や宇宙ステーションの爆発等々、その死んだはずの男が目を覚ますと舞台は、人間が科学の力で不老不死となっている2092年の病室。その主人公ニモ・ノーバディーは、そこでは唯一“死に行く人間”であり118歳の誕生日を目前に、今まさに人生の終幕の時を迎えようとしている。世界中で彼が息を引き取る瞬間に注目しているが、誰もその人間の過去を知る者はいない。それどころか、彼自身もまた過去を何も覚えていない。主治医とおぼしき顔中に隈取りのようなタトゥーを施した男が、大衆の要求に応えるため催眠術のような手法でニモの忘れ去った過去を明らかにしようとする。彼の送ってきた人生には世界中が興味津々なのだ。やがてそこに、ひとりの冴えない新聞記者が忍び込み、ニモの過去を知ることで自分のスクープとしようと質問を始めた。ベッドに身を横たえ、夢うつつのまま受け答えするニモの記憶、そこは一人の男が歩んだ幾通りもの人生が再現される不思議な世界だった。

 こうして表現すると非常に難解な作品に見えるかも知れないが実はそうではない。基本は人として誰もが遭遇する人生の岐路において、通常はあり得ないやり直しを行うことによって生じる別の人生、SF的に表現するならパラレル世界をニモが体現していくのを、非常に綿密且つ高度に、そしてこの上ない美しい映像で再現していくのだ。その選択は9歳の彼が、離婚する両親のどちらに着くかという究極の選択から始まり、やがて恋の対象に広がり、結婚、職業に及び、最後は12通りにまで分岐するのだ。
 その幾通りもの人生を時系列を無視して行き来しながら、同時進行的に組み立てる。こんな映画があっただろうか? 時に美しい恋物語を奏で、親との諍いがあり、愛する女性とすれ違う悲恋、あるいは妻となった女性の病に悩み、身体の自由を失った父の面倒を見る。大学で教鞭をとると思えば、プール掃除人になり、ある時はマイホームパパ、プール付き豪邸に住み冷めた結婚生活を送るかと思うと世捨て人にも・・・これらすべてがニモが歩んだ人生として描かれ、観客は混乱することなく受け入れることができるよう仕上げられている。ほとんど驚異的としか表現できない。そして、鮮やかに彩られたそれらを描く映像美にも感動を覚える。

 また、時折差し挟まってくるニモ自身が語る解説じみた難解な講釈、鳩の迷信行動、9次元空間を扱う超ヒモ理論、エントロピー理論、カオス理論バタフライ効果、単細胞生物と多細胞生物の生存戦争、ビッグバンとビッグクランチなどの解説が、不可思議なパラレルワールドに説得力として深みを加えるが、これとてまったく押しつけがましくなく組み込まれているから驚く。

 分岐を繰り返し、際限なく広がるかと思われたニモの人生、いったいどれが本物なんですかと問う記者の言葉と同じく、観客も答えを探し迷路に入ってしまうかと思われる頃、物語は終盤にさしかかる。彼が引用するテネシー・ウイリアムスの「人生には他のどんなことも起こり得ただろう。それらには全て同等の意味があったはずだ」という言葉で、リリースされる私たちの疑問。しかしこれが作者の伝えんとするすべてではないだろう。ニモの人生に正解があり得ないのと同じく、すべての人の生き方に正解は見つけ得ない。否、すべてを正解と肯定すべきか・・。ミスター・ノーバディーとはミスター・エブリワンでもあるのか?死を目前に老ニモが語る「I'm fifteen.I'm follin' Love.」というセリフ、同時に見せる至福の表情に私達が感ずる強烈なシンパシー、ここでわき起こる感情こそがストーリー全体を覆おうメッセージそのものかも知れない。そして、この作品がその複雑さにもかかわらず、心に浸みる余韻を持つのは、恋愛物語をベースに作られたことで大成功しているのだという根拠を強く印象づけられる瞬間でもある。

「2001」を彷彿させるよな巨大宇宙船と病室、「トゥルーマン・ショウ」のような町全体を形作る舞台装置など、過去の名作へのオマージュとも受け止められる場面作りにもわくわくする。是非とも手元に置いて何度も見直したい数少ない作品のひとつとして、現時点での本年度ダントツベストワンに推しておく。

<参考映像>物語で何度となく使われるMr.Sandman  ガットギターが奏でる美しいメインテーマ バディ・ホリーのEveryday バタフライ効果、エントロピー理論などがコミカルに描かれます
 
横浜シネマジャック&ベティ 川崎市アートセンターアルテリオ映像館 にて

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