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トータル・リコール ◆ Total Recall [いんぷれっしょん]

トータルリコール.jpg 20数年ぶりに同窓会開催の知らせを受け取ったとしよう。かつて憧れたクラス一の美人にまた会えるチャンスだ。記憶に残るその娘はミステリアスで清楚、想像しただけでときめくココロは抑えられない。そして待ちに待った当日、期待に胸躍らせながら再会した目当てのその娘は、長い時を経て全く違う女性に変わっていた。その美貌には磨きがかかり洗練され、まばゆいばかりに輝いているのだが、かつてほのかに思いを寄せた純真なイメージとはかけ離れていた。さあ、その事実をどう受け止めるか? 胸に仕舞ってあった美しい記憶を踏みにじられたと嘆くか?あるいは、時流に乗り美魔女化した元同級生を肯定し、新たなドキドキワールドへ突入するのか?

 1990年シュワちゃん主演で作られたSF大作が、現代風に生まれ変わって再び作られた。リメイク作品を目にする毎に複雑な思いに駆られるのだが、本作は前述比喩のごとく、同じ原作を下敷きにしているとは思えないくらい全くの別作品に仕上がっている。新たな作り手のセンスを肯定するか、拒否するか・・・。

 新作では、大前提となる舞台が全く違っている。地球と火星だったものが、富裕層の生活圏イギリス周辺地域ブリテン連邦と、労働者階級が暮らすオーストラリア大陸コロニーに。この遠く隔てられた2カ所を行き来するのが、地球の中心部を貫いて作られた巨大エレベーターのような乗り物というからスケールがでかい。地球の裏側に位置して、かつての宗主国と植民地だった場所を舞台に、二極化を強調するあたりは、現代に於いて、もはや揺るぎなく固定された感のある格差の反映だろう。クエイドが、ハウザーだったころに自分で預けた札束に描かれた肖像に、意外な人物が使われているのもちょっと驚いた。

 そして、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に挑むかのように、主人公の存在自体が実在なのかどうかさえ怪しまれる余韻が残る前作。そんな、哲学的にも思えるアプローチとは全く違い、ど派手なアクションを中心に据えて、息をもつかせぬまま一気怒濤に見せるスタイルはあまりに潔く、ここまでやってくれるのならもう何でも許そう・・という気持ちにさえなれる。特に主人公クエイド(ハウザー)が逃げ回る、コロニーの巷のデザインはかなり凄く、あの、「ブレードランナー」にも重なる無国籍で退廃的なイメージは、見応え十分だ。

  人格形成の重要なファクターが、遺伝的要素と後天的な経験の積み重ねだというのは否定できないだろう。だとすると、この物語の大前提になっている人の記憶の書き換えというリコール社が提供する架空の技術は、捕えようによってはとても重い。映画の中では、まるでジャンキーのような労働者達の、一時的現実逃避ツールとして扱われているが、この技術を有効に運用するなら、軍事的な侵攻など不要、支配者層にとっては都合の良い従順な人間ばかりのコミュニティーを作ることも可能になるのではと考えてしまう。

 まあ、本作ではその辺の深読みじみたことはほとんどすっ飛ばしているので、娯楽性の高いイメージの中で、社会派的部分を隠し味として楽しみながら、純粋なエンタメとして受け入れるのが良いと思えるのは前述の通りだ。あの「二週間」オバサンや、おっぱい三個のお姉さんの登場にはにやりとさせられるし、数段パワーアップした、クエイドのお目付役奥サマの凄さしつこさには、ひたすら脱帽するばかりだ。おぉ怖い。

 で、今回も最後に思ったのだが、もし自分にお望みの記憶がもらえるとしたら、何を希望するのだろうか? それについてはいろいろ考えたのだが、ここにはとても書けません。

2012/08/16 MOVIX橋本にて


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遊星からの物体X ファーストコンタクト ◆ The Thing [いんぷれっしょん]

TheThing.jpg 邦題から一目瞭然、1982年ジョン・カーペンター監督作『遊星からの物体X』の前日談を描いたSFホラー。30年を経たあの名作が、どのようにアレンジされるのか非常に楽しみだった。 結論、ポジティブ評価とネガティブ評価が半々という、微妙な感想だった。

予告等で既に解っているとおり、前作の3日前の設定。南極ノルウェー基地で起きた「あれ」と人間との最初の遭遇と戦いを描いたものだ。 隊員達の衣装や基地建築物、乗り物などの装備品などすべて前作設定が忠実に再現されていて、まるでタイムトリップをしたかのような気分になる。あまり時間を経ていない少し前の歴史は、体感した記憶をリアルに掘り起こしてくれるので、共感を呼ぶには抜群だ。 日本の昭和ブームも、この辺の心理を突いているのかも。

 この作品最大の見所のひとつ、外宇宙からやってきた「あれ」の造形と動きは、30年の長きにわたる映像技術進歩で飛躍的に凄くなっている。地球上のどんな生物にも似せないで作られたという超オリジナルな生き物が、更にパワーアップして襲ってくる様は、黙ってひれ伏す以外にはございません。 CGの進歩で、あらゆる映像体験が可能になったと言ってもいい昨今においても、おぞましさにおいては、まだまだ横綱級を保っていると高評価できる。中でも、前作では描ききれなかった、二人の人間がじわじわと溶け合っていくギミックはお見事だ。

そして、もう一方の見所、ついさっきまで仲間だった基地のメンバーの中で、誰が既に「あれ」に入れ替わっているのかという、お互いの疑心暗鬼を描く心理サスペンスの妙も、相変わらずだ。基地の隊員に加えて、調査のため急遽加わった外国人が混ざっている設定も、もう一枚深さが加味されている。本作主役のアメリカン人女性生物学者が発見した、簡易に人間と元人間を見分ける方法を実行するシークエンスは、安っぽいスリラーよりハラハラする。

 しかし、しかし、なのだ。これらの見所・面白さは、前作で既に見たアイデアだ。私が期待していたのは、もう少し「あれ」の正体に踏み込むストーリーとか、コンセプトを維持したままの、少し方向を変えた恐怖とか、そういったものだったのだ。 確かに、終盤近く宇宙船内での攻防などは、そのあたりを臭わせるものではあったけれど、いささか期待外れの感は否めない。それは過度な期待なんだろうか?

予想と少し違うエンディングと思っていたら、エンドロールに絡めたエピローグで、きちんと前作への橋渡しがされるという、オールドファン納得のオマケが付いているところには、作り手の配慮がはっきり現れている。だとしたら、既に前作の恐怖や驚きを知っている者として感じた物足りなさ感は、そんなに的外れではないと思うのだがいかがだろうか? 

2012/08/09 TOHOシネマズららぽーと横浜にて


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 ややB級の香りも味わい。  オリジナルのメガホンを取ったジョン・カーペンター監督作品。


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別離 ◆ Nader and Simin, A Separation = جدایی نادر از سیمین‎ [いんぷれっしょん]

別離.jpeg 「縮図」というよく使われる言葉がある。 『現実の様相を、規模を小さくして端的に表したもの。「社会の―」』。昨年のアカデミー外国語作品賞を受賞したこの作品は、日本人の私達が普段身近に接することのない異国、異文化、異宗教の地、イランの中流家庭で起きた事件をテーマに、現代イラン独特の背景と、他国でも起こりうる普遍の問題を重ね合わせ、見知らぬ国の、正に縮図を見せてくれる。

 物語には二組の夫婦が登場する。主役で、冒頭から登場するナデルとシミンは、離婚調停中の夫婦。それぞれの主張は相容れず、別居を選択することになる。認知症老人の存在とその介護を担ってきた妻の不在。 それを埋めるためメイドとしてやってくる女性ラジエーと、後にかかわってくる夫。 この二組の交わりを縦糸にして、やがて起きる事件と、ミステリアスな背景を横糸に据え、ゆっくりと少しずつ人間模様を紡ぎ出すように進む物語はとても濃厚で、見応え十分だ

  ラジエーがナデルの家にメイドとしてやって来て間もなく起きる出来事で、彼女の深い信仰心を見る。厳格に分けられた男女の関係。夫以外の男には触れることさえ許されないイスラムの教えが、事件の下敷きになることを、異国の私達も強く刷り込まれる。とても上手い掴みだ。そして次に起きる事件で物語は大きく動く。ラジエーが、メイドとしての勤めを放棄し、老人を縛って外出、更には家の金にも手を付けたとして激高するナデル。そのまま追い出されたラジエーは、翌日になって、身ごもっていた子を流産してしまう。

  ここで登場するラジエーの夫ホッジャ。元々短気な上に、長く失業しているフラストレーションも手伝って、流産の原因を作ったのがナデルだと決めつけ、胎児の殺人者として告発してしまう。 一方、ナデルは、ラジエーに対して、父親への虐待を理由に逆告発をし、二組夫婦の争いは出口が見えない泥仕合の様相になってくる。ラジエーは何故流産したのか?その原因は本当にナデルの所行のせいなのか? また、事の発端、誠実そうなラジエーが、認知症の老人を縛り付けて放置した理由は?これら解きの要素を含みながら、四者の心模様を巧みに描く素晴らしい脚本とリアリティ溢れる演出に、ぐいぐい引きこまれる。

  この物語に登場する人物達には、はっきりした悪意の者は一人もいない。しかしながら、争いが生まれてしまうのは何故か?自分の信ずる価値観の中で、最も大切にすべきものを守ろうと懸命になることで陥りがちな近視眼。気づかないうちに他者とすれ違い、更には亀裂を生み出してしまう。それが、人間としての性であるなら、私達の身の回りにいつ起きても不思議ではない。だからこそ、私達がこの人々の悩みや痛みに共感し、争いの行方に目を離せなくなるのは必然であるのだ。

 登場人物の大人達は、皆終始曇った表情をしている。僅かに笑顔を見せてくれるのは、二組夫婦の娘達だけだ。屈託無くうち解け、じゃれ合う姿には一瞬癒さ れる。しかし、そんなピュアな態度とは裏腹に、大人達の争う姿には心を痛めている。特にナデル・シミン夫婦の年頃の娘テルメーが、親の鎹(かすがい)にな ろうと心を砕い ている姿には打たれる。掛け違えてしまったボタンを、時間を遡り直すことは誰にも出来ない。だから再び両親がやり直すきっかけに、自分がなれればという健 気さはどうだ。主人公夫婦は、娘の願いを受け入れることが出来るのか?大人の諍いの結末は・・・。

  自分自身の心に誠実であることと、守るべきと考える価値に対して真摯であること、似ているようでありながら、両立するには難しいテーマ。それが出来ている人は幸福だ。主人公達の姿から、そんなことを教えられる作品でもある。そして、長く生きるほど色々なモノや事柄を纏い、何処かで無理を抱えて 生きなくてはならないのが大人なのはよく解っていても、この作品のエンドシークエンスで立ちすくむ、ローティーンの娘テルメーの姿に、ドライな目で向き合えるような、ひからびた心になることだけは願い下げたいとも思うのだ。

オマケ : この映画で取り上げられている数々のテーマは、現代イランの現状を知ってから再び向き合うことで、寄り深く理解出来ます。その道しるべが公式サイトにあるので、未見の方は本編をご覧になるより先にご一読をお勧めします。映画『別離』を理解するためのワンポイント 

 

2012/5/3 シネマジャック&ベティ
2012/7/19 川崎市アートシアターアルテリオ映像館


彼女が消えた浜辺 [DVD] 同じ監督と、ほぼ同じ役者達が出演しているという作品


私も未見なので是非一度見てみたいと思います。


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崖っぷちの男 ◆ Man on a Ledge [いんぷれっしょん]

崖っぷちの男.jpg このポスターを見ただけで、高所が苦手な方々はお尻がむず痒くなるかもしれない。主人公のニック・キャシディー(サム・ワーシントン)が、ニューヨークのど真ん中、高層ホテルの窓の外に立って、飛び降り自殺志願の男を演じているシーンなのだ。「なぜここに・・?」その謎解きが、物語のキモなのだが、ここに立つまでの経緯は上映が始まってすぐに解る。

 ニックは収監されていた元警官で、それはどうやら誰かに陥れられたらしい。機を見て脱走した彼は、最後の手段として自らの死により、その無実を世の中に訴える手に出たのでは・・と思わせて、実は別の深い作戦を練っていたのだった・・。さあ、一歩も動くことさえ出来ない状況でどうする、どうする?

 映画のおもしろさは、何たってストーリーの出来次第だよ!とおっしゃる方にはオススメ作品なのだが、感想文書きには、とても扱いにくい作品だ。 というのは、物語の最初に大きな謎が投げかけられ、話の進行に沿う小さなサプライズの積み重ねにより、謎が解き明かされることで、どんどん面白みが増してくるという、非常によく練られた脚本は、この場面がこういう具合に面白かったとか、あっちの意外性が楽しかったとかいう感想を書いてしまうと、楽しみのエッセンスを先にバラしてしまうようなもの。それではこれからご覧になる方にはあまりにも酷。いくらネタバレありと断っていたとて、私の良心が許しません。だから、今回はこれにてオシマイ・・・では、身も蓋も無く書き始めた意味も無いから、もう少し続くのだ。

 見所は随所にある。ニックが呼びつけた、エリザベス・バンクス演ずるニューヨーク市警の女性交渉人マーサー。少し前交渉に失敗したことでマスコミに叩かれ、有名になっている彼女を選んだ理由。脱走したニックがたどり着くある場所と、彼の緻密な計画をサポートし、実行する別働隊である意外なパートナー。MIシリーズのようでありながら、ややゆるいアクション。そして、最後に明らかになるニックを陥れた人物たち。そして何と言っても危機一髪、崖っぷちからの鮮やかな逆転劇等々、ワクワクしながら最後まで楽しめ、何の疑問も持たずに劇場を後に出来る、アメリカ産エンタメの王道作品であるのは断言しよう。(別に私がしなくてもいいのだが)

ここしばらく続いているアメリカ映画の潮流から漏れず、この作品もファミリーの絆というテーマが根底にある。 また、窮地の主人公を図らずも最後に助けることになる、怒り狂う無名の人物の登場などは、アメリカ社会の「今」を写しているとも受け止められ、裏表どこから見てもU.S.Aなのだ。 後日談として語られる酒場シーンでは爽快感を更に深め、さすがスカッと爽やかコーラの母国と妙な納得までもらえるから、二度オイシイとも付け加えよう。

 大作「アバター」「タイタンの戦い」で一躍大スターの座に上った、サム・ワーシントン。過去の作品も含め、好感度高い風貌に加え、所謂ナイスガイな雰囲気を持つ役柄が似合う俳優だ。 また、長編初監督というデンマークの  アスガー・レス監督、良い脚本の助けもあるだろうが、これだけ質の高い作品を見せられると、次回作も楽しみになる。ついでに触れると、弟役のジェイミー・ベルは、ほんの少し前に見た「ジェーン:エア」で、とても堅い男の役を演じていたので、ギャップが凄かった(笑)

なお、原題 「Man on a Ledge」は、男が立つのは崖っぷちではなく、切り立った峰・・の意。崖っぷちだと追い詰められたイメージだから、若干ニュアンスは違うんじゃないかな~?

2012/07/12 MOVIX橋本にて


サム・ワーシントン主演作といえばこれ

アバター [初回生産限定] [DVD]   タイタンの戦い 3D & 2D ブルーレイセット(2枚組) [Blu-ray]


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ルルドの泉で ◆ Lourdes [いんぷれっしょん]

ルルドの泉で.jpgルルドとは、フランスとスペインの国境ピレネー山脈のふもとの小さな町。キリスト教における聖地である。 ここに湧く泉の水によって起きると言われる奇跡の治癒を求め、世界中から集まる人々。その中のひとり、四肢麻痺の主人公クリスティーヌに起こった出来事、その周囲の人々の人間模様を描いたとても興味深い作品だった。

作品背景はキリスト教の信仰にあるのだが、教義や、価値観とはほとんど関係なく見られる。過去に、宗教的背景を持つであろうと思われる作品に出会ったとき、世界中で最大数を誇る信者や、文化圏に生きる人々には共通の認識、その根源にある最大公約数的ともいえる価値基準を知らないことで、本質が理解できないという経験はよくあった。当然本作を見る前にも、そんな懸念は持っていたのだが、幸いにもそれは杞憂だった。そして、そのことが作品の本質に繋がっていることを、後で気づくことになる。

宗教的聖地、巡礼地というと何とはなしに質素で素朴、神秘性に満ちたイメージを勝手に持っていたのだが、随所に描かれる「ルルド」は、さながら神秘の聖地に各種の設備を備えた大宗教複合施設という趣で、雰囲気こそ厳かなものがあるが、私達日本人が我が島国の仏教施設からイメージするそれとは全く違っている。 施設滞在中のスケジュールはパターン化されていて、祈り、沐浴、説教、そして参加者同士に交流会や、記念のイベントなどが組み合わされた、聖地巡礼パッケージツアーという感じで、システマチックにこなされていく行事には、ややもするとドライな印象さえ受ける。世界各地から、沢山のツアーを組んでここに訪れる人々には、様々なタイプが混ざっている。観光を主目的とする者、医学的な治癒が難しい病や障害を抱え、願わくば自らに奇跡が起きるよう願う者、そのような滞在者へのボランティアをすることで、信仰を深めようとする者。ツアーのグループには多様な人々が組み合わさって、一時のコミュニティーを形作っている訳だ。

一連の行事はつつがなくこなされ、参加者達は共通の体験や、何日かの生活を共にすることで生まれる連帯感を共有しながら、ツアー日程も終盤にさしかかった頃、主人公の身に劇的な治癒が起きる。身を起こすことさえ困難な障害が消え、自ら立ち上がり、身の回りのこともこなせるようになる。「奇跡」が起きたのか?にわかにざわめく周囲。あまり信心深そうには見えなく、且つ地味な主人公が一躍時の人となり、羨望と興味の視線に晒されることになる。同時に、ほころびを見せる連帯感。なぜ自分が?という疑問を持ちながらも、喜びを隠そうとしないクリスティーヌを周囲は祝福するが、その裏には押し隠した嫉妬や疑惑といった、およそ敬虔とは相容れない感情が交ざっているのだ。

そして、この奇跡を巡る物語は、クリスティーヌが恋心を寄せたマルタ騎士団の男性との幸せなダンスの最中、突然体調の異変を感じるところで唐突に終わる。彼女に起こったのは本当の奇跡だったのか?所謂「プラセボ効果」の類だったのか?ここでも再び周囲がざわめき、疑惑や安堵感など複雑に入り交じった感情が漂う。何も明確な答えを提示されないまま突き放された私たちは、思いを巡らせざるを得ない。自分自身が、ここに立ち会った一員だったらどのような感情を抱くのだろうか? クリスティーヌに起きた治癒を共に喜び、心からの祝福を送ることが出来るか?そこに神の意志と力は及んでいるのか?つまり、この宗教をモチーフにした象徴的な出来事に出会うことで、私達が、自身の「こころ」に対峙することを求めるという作者の意図がここにきて明らかになるのだ。

そして、それを裏付けるような作画、感情表現を抑えた演出、主人公以外のキャストを敢えて均等に扱っているとも見えるカット割り等々、時に冷徹さも感じさせる手法は、人物への感情移入を拒否して、第三者的な目線を要求し、作品に没入し楽しむことさえ許さなかった。初めて出会ったジェシカ・ハウスナー監督、師匠ハネケ同様とても意地の悪い試練を与えてくれたものだ。

2012/06/07 川崎市アートセンター アルテリオ映像館にて


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ルート・アイリッシュ ◆ ROUTE IRISH [いんぷれっしょん]

Route-Irish-01.jpg

 この映画を知るための基礎的なキーワード。PMSCs(民間軍事会社)とコントラクター、CPA(連合国暫定当局)指令第17号。是非ご自身で検索していただきたい。

本作は、私達が今まで知っていた戦争のイメージとは異なり、戦場イラクにおいて、2003年5月大規模戦闘終結宣言後急速に進んだ戦争民営化の実態が描かれる。 民間人のほとんどが知らない、戦争請負いビジネスの実態への批判と、さらには、それら危険な仕事でしか生きられない労働者階級の現実をも明らかにしている。 その監督はケン・ローチ、英国の筋金入り社会派監督だ。

親友で幼馴染の英国人ファーガスとフランキー。腕利きの兵士だった二人は、高額の報酬を目的にイラクで活動する民間軍事会社に傭兵として赴く。先に帰国したファーガスの元に届く、フランキーからの不可解なメッセージ。やがて変わり果てた 姿で帰ってきた親友の姿と、遅れて届いた携帯電話に残った映像。それらから、尋常ではない何かを感じ取ったファーガスは、その死に隠された秘密を探り始める。 やがて、ファーガスがたどり着いた親友の死の理由と、彼なりの復讐劇の開始。そこにはニュースからは決して流れてこない、現代の戦争にまつわる闇があっ た。

ここ何年かの間に、イラク戦争をモチーフにした作品は何作か作られてきた。戦場の実態を描いたもの、帰還兵を取り巻く苦悩、息子を失った父親像等々が。 しかし、本作は私が今まで知らなかった全く別の視点で、この戦争を振り返る。正規軍が僅かしか送られない中、代替として多くの民間軍事会社によって投入された二万人超とも言われる民間兵。軍事会社と、現場の兵士達が何を行ってきたかという事実の一部が作品のテーマだ。

利益の最大化を目的とする企業が請け負う戦争。仕立てのいいスーツに身を包んで欧州高級車に乗り、究極のリアリストとして国家による戦争アウトソーシングの受け皿たる企業のトップ。彼らの企業活動の結果がイラク混迷の元凶であるとすれば、責任の所在は明らかだと思うが、彼らが裁かれることは絶対にあり得ない。復讐を実行し、殺人にまで及んだ法的な犯罪者と、本当の意味での重罪人は一致しないという結論。正義・大儀を持たない軍隊や兵士が、CPA指令第17号の下、爆弾テロにおびえながら行った犯罪的殺戮も裁かれることはない。そして、更に暗鬱になるのは、今や戦場にも市場の論理が働き、誰かがある企業を排除しても、そこにニーズがある以上別の誰かがそれを補う仕組みが出来ていると言うこと。

更には、もはや世界的なテーマとなった、格差社会における労働者階級の問題。高度化した資本主義社会の必然性と影。働いてお金を稼がないと生きていけないという当たり前のルールの中で、労働市場が対価として高額報酬を約束しているのは、言語的知能や、数学的論理的知能に限定されるという現実。グローバル化した労働市場において、成功の果実を手にするのが難しい能力、身体運動的知能を生かす受け皿としての民兵市場。システムそのものに根ざした深い問題ではあるが、現時点で誰も解決策を持ち得ない。

そして、忘れてはならないのが、侵攻された国にこそ最大の悲劇がもたらされるという観点。つまりイラク人こそが最大の被害者だということ。今までの戦争映画が、西欧の目線で描かれたもの多いのは周知のことだが、そういった意味でも明らかに異質であると言えよう。劇中とエンディングで聞かれる、イラク人のミュージシャンが歌う「メソポタミア」の歌。もの悲しいメロディーが、我々が聞くことのないイラク人犠牲者の声のように聞こえた。

 ●baghdad__airport_and_green_zone.jpg写真の右と左、赤線で囲まれた地域を結ぶ太い道が「ルート・アイリッシュ」だそうだ。 この映画のストーリーは、過去数年間にイラクで実際に起きた数多くの事件をベースに組み立てられているという。
実在する軍事会社ブラックウォーター社

●作品の背景を解説した日経ビジネスオンラインの記事。ルート・アイリッシュの語源、イラク戦争と民間軍事会社、それを産んだアメリカの事情などを知ることが出来ます。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120328/230342/?P=2

 

 2012/05/31 シネマジャック&ベティにて


ケン・ローチ作品 社会派作品多数。アメリカを毛嫌いしていることで有名なので、アカデミー賞とは無縁。

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ファミリー・ツリー ◆ The Descendants [いんぷれっしょん]

The Descendants.jpg 演じる度に違った人物像を見せてくれる、現代の名優ジョージ・クルーニー。ハワイを舞台にした最新作では、ほぼ一人芝居といってもいいかもしれない独壇場の演技で、降りかかる難題に翻弄される冴えない中年男像を見せてくれた。

真面目で堅実、仕事人間の弁護士マット・キング(クルーニー)。彼が直面している問題は二つ。美しく奔放な妻エリザベスが、パワーボートの事故で植物状態に陥り、再起が絶望的状態にあること。もう一つは、先祖伝来受け継ぐ広大な土地の扱いについて、「受託者」として近い将来大きな決断を迫られているということ。そしてそこに追い打ちをかけるように明らかになった妻の不倫、更に離婚までを望んでいたという事実。それらを目の前にした彼の狼狽と、途方に暮れ具合、我ら熟年男にとっては痛いほどよく解る。故にこの時点で、これから臨むこの作品を楽しめるであろうことが、半分以上約束されたようなものだ。

 洋の東西を問わず、働き盛りの中年男の多くがそうであるように、この主人公も子育てや家庭で起きる問題ごとには無頓着だった。それが妻に起きたアクシデントのせいで、否応なしに向き合わなければならなくなる。仕事の難題なら、どのようにも立ち向かって行ける筈の男が、こと家族の問題になると、てんで頼りなくて情けない。

 親元から離れ、寄宿学校に通う長女アレックスは、いかにもといった感じで今どきの奔放な女の子らしく登場する。しかし、父の苦悩を前に、偶然知ってしまった母親の不倫の秘密を告げることで、父娘が不思議な連帯感を共有し、それまで反抗的だった娘は心を溶かし始める。それは、父親が我が娘を、一人の大人として認め頼ることで、互いが尊敬し合う関係に再構築されるからだ。

 妻であり、娘にはとっては母でもある人の不倫相手を探す旅。そしてなぜか行動を共にする、長女のボーイフレンド。風変わりな一行は、いくつかの困難や現実問題に遭遇しながら、関係がだんだん熟成されていく。子供っぽかった若者達は意外な成長を見せ、頼りなかった父親は、包容力を纏ってくる。そして、遂に目的を遂げるとき、そこには別の家族がいて、新たにもう一つのドラマが生まれる。

 順風満帆、自分の思い描いたとおりの人生を送れる人は、世の中にどれくらいいるのだろうか? 他人が羨むような成功を手にし、何の苦しみや悩みも無いように見える人の中にも、実は僅かなつまずきや迷いで、それを失うことも有り得るだろう。この物語の主人公マットとて同じで、自分がイメージしていた成功物語が、実は危ういバランスの上にぎりぎりで立っている、かりそめだということを思い知り、自分と家族を見つめ直す、新たな視線を見つけるというのがこの物語のテーマであるなら、それは多くの人々の生き様にオーバーラップするだろう。

 進化生物学上の頂点に立つ人間ではあっても、虫眼鏡で見てみるなら、それは小さな単位である家族の集まりであり、種としての繁栄とは別の未熟さを、それぞれが抱えていることにもあらためて気づく。逆に、そんな未熟さを抱えつつ、親から子へ、子から孫へと生命の環を繋ぎ、支え合い補い合いながら、互いを慈しんでいくことの大切さをも、再確認するのだ。

 エンディング近く、マットが先祖の肖像写真を前に、もう一つの決断をするシーンが静かに描かれる。自分が今ここにいる必然性。アイデンティティの拠り所としての血族の絆を象徴している。原題「The Descendants」は、子孫、・末裔という意味だ。そして、邦題「ファミリー・ツリー」は、土地に根を張り生命を繋いでいく家族を象徴しているのだろう。なかなか良いタイトルだ。

 そして、父と娘らが、エンドシークエンスで見せる何とも暖かいやりとりと、大写しにされるタイトル文字は、爽やかな余韻となって心に染み渡る。明るく美しいハワイの映像と、柔らかなハワイアン音楽と絡めて、どこにでも起きそうな家族の事件を、ほのかなユーモアを絡めて描いた本作から得られる教訓は、すべての人種や国境をも越える普遍性を持つだろう。

 最後に、実に個人的なこととリンクさせるのだが、この作品を見ている最中に、ずっと長いこと心に引っかかっていた自分自身の未解決問題を解く回答の糸口を見つけることができた。 堂々めぐりを繰り返し、抜け出せずにいた迷路の先に見た小さな灯り。映画作品が人生を変えるなんてことが、自分自身に起きるとは思ってもいなかったけれど、それが起きた。嬉しい驚きだ。だから、作品への評価とは別の次元で、一生忘れられないだろうと言うことを、つけ加えておきたい。


 2012/05/31 TOHOシネマズ海老名にて


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バトルシップ ◆ Battleship [いんぷれっしょん]

バトルシップ.jpg 巨人ユニバーサル映画が100周年を記念し、その総力を注いで製作した超娯楽大作。単純明快、爽快感120%、米海軍プラス海上自衛隊VS異星人の、ガチンコバトルを思い切り楽しもう。監督は、キングダム/見えざる敵やハンコックのピーター・バーグ。

 遙か宇宙の彼方から、編隊を組んでやってくる未知のエイリアンと、最新鋭とはいえ、地球外の敵との戦いを想定してしない軍隊を五分に戦わせるには、それなりの必然性及びリアリティを持たせることが大前提になる。昔のSFや、日本のヒーローTVドラマだと、自衛隊なんかは、シュッと一発キンチョールで落される蠅か蚊のようにあっという間に一蹴されてしまい、ある程度善戦するのは、対宇宙生物用の特殊装備を持った、地球防衛軍の役目というのが通り相場だった。しかし、本作の主役は、太平洋上で演習をしている日米の艦船とその乗組員達であり、ワンダバダ・・と秘密基地から出撃してくる防衛軍や、M78星雲からの援軍もナシ。そこで考えたのが、やって来た宇宙人軍団は先遣隊で、彼らとて地球のことはまだよく解らないから、本隊や補給路がきっちりするまで、先制攻撃は控えようという態度にしましょうというアイデアなのだ。

 予告編やポスターでも解るように、敵の艦船(宇宙船)は、ものすごく巨大で頑丈そう。宇宙を長旅して来たのだから、当然思いも寄らない超科学に裏打ちされたハイテクを装備しているに違いない。とても歯が立ちそうにない相手に我らが地球軍がもらったハンデが、彼らが地球に到達する前のアクシデントで、通信船を失い、行動が制限されるということ。電磁バリアーを周囲に張り巡らし、太平洋の真ん中で引きこもり、じっくり構えて侵略の準備を整えましょうというところに、付け入る隙が生まれるという設定は、なかなかにうまい。リアリティ重視と言ったって、宇宙人の侵略という設定自体が荒唐無稽じゃんと言われてしまえばそれまでだが、そういうリアリストの方々は、そもそもこういう作品にお金を払わないだろうから、念頭に置かなくてもいいのだ。

非常に納得できる舞台設定の中、自衛隊の護衛艦と二隻の米海軍駆逐艦が、バリアーの中に閉じこめられ、敵と対峙することになる。しかし、USSジョン・ポール・ジョーンズ一隻を残してあっという間にやられてしまう。残った船に生存者が集まり、エイリアンとの知恵比べをするのだが、そのアイデアの中に、懐かしのエポック社レーダー作戦ゲームのようなシーンも見られ、その作戦を立案するのが浅野忠信演じるナガタ一等海佐というのも、私達日本人にとってはグッと来る「燃え上がり」要素である。

孤軍奮闘空しくJ・P・Jも遂に撃沈されてしまう。そこから主役の二人が脱出するシーンも、なかなかのスペクタクルで見応えあるのだが、武器を失った彼らが最後の手段として乗り込む艦船がこれまたスーパー「燃え演出」だ。この辺は、娯楽大作として最大のハイライトであり、未見の方にバラすのは気が引けるので、一応ぼかしておくが、タイトルの、戦う船=敵の巨大な宇宙船の意味、あるいは作品全体を通しての比喩的な使われ方ではないと気づいたたときにはかなりぶっ飛ぶ。そしてそこに登場する思いも寄らない援軍、そりゃあもうガッツポーズで「Yes!!Seniors, please.」(Google翻訳のコピペなので、正しい用法かは?)と叫びたいくらいであります。

徹底的に娯楽を追求した大作でありながら(あるからこそ)非常によく練られた脚本。序盤に沢山登場する伏線が、すべて上手に回収されているところも、さすがメジャーの威信をかけただけのことはあると納得。主戦場である海の上とは別に平行して語られる、主人公の彼女と、両足を失った退役兵の活躍にも、おじさんとしてはじんとしてしまう。

かような痛快活劇の中に、敢えて示唆めいたことを見つけようとするなら、ある脅威に対して、だれか一人のスーパーヒーローが立ち向かうのでなく、それぞれの力は小さいが、力や知恵を集めることで、巨大な敵にも抗えるという設定が、今の米国のムードを反映しているかもしれない点か。そして、伝統的価値観として、過去のヒーロー達へのリスペクト、現在の繁栄が、先人による礎の上にあるという意識を暗黙のうちに共有しているといったころだろうか?

しょっちゅう変わる日本の首相が、その度に米国と確認し合う同盟関係。我々民間人が普段ほとんど意識しないこの状況も、フィクションとはいえ映像で見せられるとなるほどと納得できるものだ。そして出来るなら、憎むべき相手として命がけで戦うのは、人類同士ではなく、手加減不要の異星人であってほしいなんてこともちらりと思うのだ。

※オマケ レーダー作戦ゲームは「永遠の僕たち」で、加瀬亮とヘンリー・ホッパーがたびたびやっていた。本作の主役名が、アレックス・ホッパーなので、懐かしいゲームと役者名で妙な繋がりがあるなぁー。

2012/05/19 TOHOシネマズ海老名にて


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少年と自転車 ◆ Le Gamin au velo [いんぷれっしょん]

少年と自転車.jpg「大人とは、歳をとった子どものことだ。年齢を重ねても、自分が歳をとったと感じることはない。ほんの少し若いときより賢く、自信を持っているだけだ。」少し前にウェブで拾った、ある父親が息子に宛てたメッセージの中の一部だ。男の成長について簡潔且つ的確に表現されていて、なるほど至言である。

私には、間もなく成人する歳になる息子がいる。そして、自分は少年時代を経て、今は大人の男として日々を送っている。だからこの作品、薄幸な少年を見つめるような作風に強い親近感を抱き、とても惹かれる。

名匠ダルデンヌ兄弟が、日本で開催された少年犯罪のシンポジウムで耳にした「育児放棄された子ども」の話に着想を得て作り上げた作品とのこと。 物語のテーマを俯瞰してみると、父親に見捨てられ、養護施設で暮らす主人公の少年シリル。偶然出会った女性サマンサが里親になることによって癒され、心の成長を遂げていく様子を、いくつかのエピソードと日常的セリフを積み重ねながら、説明的な言葉やシーンを用いることなく描いているいうというころか。暗喩を味わうべき作品と言い換えられるかもしれない。

他のどの作品にも似ていない、とてもオリジナリティーに富んでいる。まず最初に印象的なのが カメラのフレーミングだ。背景や風景を極力省略して、手持ち撮影による人物のクローズアップを多用。時には人物、特に主人公シリルがフレームからはみ出すような撮り方は、観客が彼に向ける目線のような感覚。カメラと人物の距離が客観性と比例するのであれば、その距離感は登場人物に対してかなり近く、寄り添うような感覚で彼らの周囲に起きる出来事を体感していくという印象だ。無垢で傷つきやすい年頃の男の子へ、思わず手を差し伸べたくなる距離感が絶妙である。

映画的省略という観点で見ると、もう一点特徴的なのが登場する人物への説明だ。主人公父子の家庭環境や、母親の存在については一切触れられない。父が子に告げる決定的決別の言葉。「いっしょには暮らせない、ホームへ戻るんだ。」身勝手な言葉の理由もほとんど語られず、やるせない余韻だけが残り観客の想像力をかき立てる演出には感嘆する。シリルとサマンサとの出逢いから、里親役を引き受ける一連の流れについても同様。人物の心の動きは、見る者のイマジネーションにゆだねられているのだ。

逆に、非常に解りやすい演出も用意されている。劇中、音楽はほぼ皆無だが、ベートーベンピアノコンチェルトが唐突に四回短く流れる部分がある。それはシリルの中でエポックが起きたとき、まず最初、父親との連絡が取れなくなり、ふてくされた彼がシーツにくるまり外界を拒否する態度を取るとき、次に、父に決別の言葉を告げられ、里親サマンサの車の中で強烈な自傷行為に至る場面、三回目は、街の不良少年に誘われて夜の外出をしようとし、咎められたサマンサに抵抗し、傷つけてしまう場面。そしてエンディングだ。 それぞれ場面転換も伴っているので、強いアクセント感が伝わってくる。

身勝手な父親と、無償の愛を注ぐサマンサが対比されながら、必要な時間と過程を経てやがて二人は家族になる。物語の後半、陽光の中自転車で併走する二人。やがて、そのスピードの差に気づき、大人用の自転車に交換してくれと頼むシリル。父から買い与えてもらった愛用の子供サイズMBを、別のものに乗り換えるという行為は、自分を捨てた父との決別であり、大人への階段を一段上ったことの象徴とも受け止められる。そして、続くランチのシークエンスで、二人の心が完全に溶け合っているのを見る。最も明るく暖かい部分だ。

しかし、ここでハッピーエンディングにならず、もう一山用意されている。最後の事件と、エンドシークエンスで描かれるシリルの姿に、彼の成長の跡が象徴されている。過去の罪に対し、「おとしまえ」を付け、本物の男として一歩踏み出すのだ。頼まれた買い物を抱いて、サマンサの元に走る彼が、この後、サマンサに対して語るであろう言葉については、観客全員が同じ想像をするはずだ。そして、その言葉を受け入れる「母親」の姿にも。

2012/4/26 シネマ ジャック&ベティにて


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 ダルデンヌ兄弟作品


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昼下がり、ローマの恋 ◆ Manuale d'am3re [いんぷれっしょん]

昼下がりローマの恋.JPG生まれてから半世紀ほど過ぎると、世間的には所謂熟年あるいは中高年などとくくられるようになってくる。社会的にはそこそこ責任ある立場に置かれ、 山のような仕事に追われる毎日、身の回りにおいては、夫婦間には微妙なすきま風が吹いたり、子供がいれば進学や就職の心配などする時期かもしれない。日々伝わる国内外の情勢などにもほどほど精通し、頼りない政府に憤ったり、一向に回復しない景気の動向や、社会常識に欠ける若者への憂いを抱いたり、そして最も気になるのは、間近に迫る老後に向けた我が身の行く末だろうか? つまるところ、あれこれ心配事や解決が迫られる目前の課題なども多く、結構忙しい毎日なのである。

だから、男女の色恋ごとなどにはうつつを抜かしている場合ではなく、けだるい午後に繰り広げられるメロドラマの世界などは、およそ縁がないだろうというのが、ニッポンの正しきオヤジの姿と固く信じて疑わなかった。まあ、その辺の心根には、要するに恋は素敵だが、既にそこの当事者たれない立場に追いやられて久しくなった悔しさとやっかみが多分に含まれているのはご推察の通りなのだが・・ そんなオヤジがちらりと目にした予告編、名優デ・ニーロとイタリアの宝石モニカ・ベルッチの共演という売りに目がくらみ、劇場へと向かうことに相成った。

「イタリア的、恋愛マニュアル」から続くシリーズものの第三作だそうで、そのあたりの事情もまったく知らず。おまけに、3話のオムニバ スだったことも、始まってから気づいた。よくあるパターンとはいえ、今回も告知に騙されデ・ニーロとべルッチ主演の長編と思いこんでいた。第1話「青年の恋」、第2話「中年の恋」、第3話「熟年の恋」、yahooやGoogleで翻訳しても埒があかないが、原題「Manuale d'am3re」も、この三話で作られているよといったことを意味しているのだろう。

 さてその内容はというと、第一話目は、結婚間近の若い弁護士が、仕事で訪れたトスカーナでやんちゃな美女と出会い、あっという間に燃え上がってしまうという、いかにもイタリア的なお話。ミコルという人妻を演じたラウラ・キアッティという女優が、やたらに色っぽく且つチャーミングで、陽光降り注ぐトスカーナの町並みや自然の風景とマッチして、とても目の保養になった。

第二話目、人気テレビキャスターである中年オヤジが、イカれた美女の誘惑に乗って手ひどい目に遭うという、これが一番コメディだったな。キャスター、ファビオ役のカルロ・ヴェルドーネというおっさん役者の困惑ぶりがやたらに可笑しく、しゃべりながら繰り出すイタリア人独特(詳しくは知らないが多分そうなのだ)のフィンガーアクションが笑える。 しかし、情事の模様を隠し撮りされ、ネットに流すぞという脅迫は確かに怖い・・・ご同輩諸氏で渦中にいらっしゃる方はお気をつけをと申し上げておこう。

そして、件の名優と宝石が共演するのが第三話、大病を克服した歴史学者であるデ・ニーロが、親友の娘と恋に落ちるという羨むべきお話。そのお相手がベルッチという訳だ。父娘ほどの年の差を超えて、絶世の美女をモノにする役には名優も楽しそうで、力の入らない演技にもそれなりに好感が持てる。宝石美女については相変わらずで、女優として演ずるところについて、コメントすべき点は無く、相変わらずお綺麗ですね・・とだけ申し上げておこう。実年齢より随分若い役柄だが、それを感じさせない美貌と妖艶さには舌を巻くが、男性には当然期待されるシーン、今回はちらっとだけなのでややがっかり。

三話ともヒジョーに魅力的な女性が登場し男を虜にするのだが、その女達がそれぞれ秘密を持っていて、それが明かされることで話が転がっていくというシンプルな構成、大したひねりもないので、あっという間に結末を迎えるところも有閑昼下がりの時間潰しにはもってこい・・。主役の男達と我が身を重ねるか、あるいは傍観者として笑い飛ばすかはそれぞれご自由。全体の流れからは、オヤジが元気になれそうな空気が残るので、恋ゴコロによって分泌されるという脳内快感物質を今一度湧き起こしたいと思える気になったりするかも。でもやはり、これから当分の間近づかないジャンルだろうなぁ~。

2012/4/12 シネマ ジャック&ベティ にて


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