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アベンジャーズ [迷画ギャラリー]

 
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イノセントガーデン ◆ STOKER [いんぷれっしょん]

イノセントガーデン.jpg ごく一部を除いて、ストーリーのない映画作品は無い。だから、筋書きの面白さがその作品の魅力を左右する大きな要素であることは間違いないだろう。 しかし、シンプルなストーリーでありながら、そのほかの表現手法でその魅力を高めているものもたくさんある。いわゆる、『スジ・ヌケ・ドウサ』と言われる三大要素の他にも、効果音やBGMは勿論、最近では映像のデジタル化や3Dなどの最新技術なども、過去のセオリーにプラスして捉えることもできるだろう。

 韓国人監督パク・チャヌクの、ハリウッドデビュー作とか。過去作品を見ていないので、私にとっては初めての体験。スリラーをベースに、艶っぽくて美しくて妖艶、サイコでありながらやがて独特の恍惚感まで漂う何とも言えない世界を堪能させてくれた。『スジ』以外の要素がすこぶる魅力的な作品と言えよう。鑑賞前に、予備知識を入れてご覧になる方、全くの白紙で臨む方、いろいろいらっしゃると思うが、本作はある程度作品のテイストを知ってからご覧になるほうが、この独特のタッチをより深く味わえるだろう。でないと、冒頭から1/3くらいの雰囲気を上手に咀嚼できないおそれもあり。

 ミア・ワシコウスカ演ずるインディアは、18歳の誕生日に最愛の父リチャードを事故で失い自失となる。時を同じくしてやってくる、亡き父の弟、美しき叔父チャーリー(マシュー・グッド)。未亡人となった母イヴリン(ニコール・キッドマン)の三人が絡んで、この謎めいて美しくもおぞましき物語が始まる。 

  基本サスペンスタッチなのだが、冒頭に書いたように、その魅力はストーリーの謎解きだけではない。いや、比較的早いタイミングで見えてくる殺人の実行者より、その人物の過去に隠された秘密に関わる謎と、主人公インディアが持つ繊細で特殊な感覚、さらには叔父チャーリーとの出逢いと関わりによって、眠っていたある個性が覚醒するようなプロセス。18歳とは子供から大人への脱皮が始まる頃。あるいは、身体の成長と心の成長がアンバランスをきたす微妙な時間。未成熟を象徴するアイテムとして、卵や繭を直接的間接的に映像表現として多用している。逆に、身体の成熟を表す性的なイメージや直接描写。そして、本作のキモである、インディア、父、叔父の系譜に流れる恐怖の血の真実。さらには、そこから疎外されている、母のメンタリティー。これらをコラージュするように、緩急に富む独特のテンポと描写で、時に流れるように、時に美しき絵画のように魅せてくれるのだ。

 インディアが父から受けた手ほどきによって習得した”狩り”の技術。その腕で仕留めた大物を残し、更なる獲物を求め、広い世界に足を踏み出す。 叔父のインディアに対する長年の異常な執着と、それに呼応する彼女の性格。同じ血と言うだけでは説明が足りない二人の間に残る謎と、母と娘の異常な確執など、きっちり回収されきらないことで残るもやもや感も、もしかしたらこの作品で狙ってる魅力のひとつだとしたら、ちょっとすごい。

 ある作品との出逢いがきっかけで、その作家の過去作品に遡ることって結構多い。私にとってのパク・チャヌクはそうなることは間違いないだろう。韓国映画の空気って実はそんなに好きじゃないけれど、評価の高い『オールド・ボーイ』(03)『渇き』(09)などは今すぐにでも見たいと強く思った。そして、それらに接する前の現時点で、この監督のハリウッド進出は大成功していると言いたい。次作も楽しみだ。

2013/06/20 TOHOシネマズららぽーと横浜にて


なんか、ジャケットだけでもフツーじゃなさそうなパク・チャヌクの世界。ドキドキ。

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ムーンライズ・キングダム ◆ Moonrise Kingdom [いんぷれっしょん]

ムーンライズキングダム.jpg   独特の空気・世界観でオリジナルの作風を確立し、私たちの心を捕らえて放さないウェス・アンダーソン監督が送り出した新作は、小さな島に暮らす思春期前の少年少女が、駆け落ち騒動を起こすという天外なストーリー。 70年代「小さな恋のメロディ」や「リトル・ロマンス」なんかを思い出すが、かつて使われたテーマを、アンダーソンオリジナル魔法のスパイスで料理したらどうなるのだろうか? それは、期待を裏切らない、いや想像以上に素敵な作品に仕上がっていた。

  冒頭からアンダーソンワールドが大爆破する。といってもご存じのように何かエキセントリックな演出が施されるのではなく、もしかしたら身近にありそうな情景や舞台設定を、数十センチメートルないしは数メートルの距離感を持った視線で描く。トイカメラで撮影したような、ちょっと現実感から遊離したような映像。時代設定が60年代ということもあり、時の流れが21世紀の今とはまるで異なる速度感。固定カメラを多用した映像から流れ来る、何とも言えないチープ感。唐突に始まる「青少年のための管弦楽入門」が作品の序曲のように響くあたりでは、観客はもうすっかりマジックの虜になっている。

  駆け落ち騒ぎを起こす少年と少女があるきっかけで出逢い、文通(死語?w)を重ねるなかで心を通わせ、恋心を育むといった流れは、前述の70年代作品だったら、とっても健全で、中高生の女子の目をハートにするようなのが王道だったろうが、そうならないところも魅力のひとつ。二人とも周囲と少し異質、いわゆる浮いた問題児的存在であり、パーソナリティーを突き詰めて行けば、違った方向の社会派作品になりそうなもんだが、そのあたりの表現を敢えて抑揚無く描くことで、顕著化させずにおくあたりもニクイ。  

  物語の前半は、二人の逃避行をメインに据えたロードムービーの趣き。 恋心を秘めた二人が、互いの内面をちょっとずつ見せ合いながら冒険の旅に臨む風景は甘酸っぱさ120%。先住民が通ったという道を踏み分け、たどり着いた目的地、おとぎ話の舞台のような小さな入り江のキャンプで明かす一夜には、数々の修羅場を経験し、男女の駆け引きに慣れきった大人の胸も、キュンキュン鳴ることは間違いなし。

 後半は、あえなく失敗に終った二人の駆け落ちを、仲間のスカウト達が中心になり、結婚という形に実らせてやろうという正に「メロディー」のような展開。、歴史に残る巨大ハリケーンの接近という自然の驚異を、ストーリーの盛り上げに使うのはいつか見た風景なんだが、そこにもどこか間抜けでユーモラスなスタンスを崩さないところが、ウェスワールドたる所以。嵐のさなか、教会の塔上での冗談みたいなシチュエーションでの感動的(!)しめくくりには、喝采を送りたくなる。

 半世紀以上も生きていると、およそ世の中の裏表を知りつくし、駆け引きに明け暮れ、打算と利害が行動の基準、ともすると人を見たら泥棒と思うべしなんていうねじ曲がった視点で日々を過ごすことが多くなってしまいがちだ。 そもそも、愛という感情だって、最新の科学によれば、ヒトが進化の過程で獲得し最適化してきた、子孫を残すための合理的仕組みのひとつであるなんて、味も素っ気もない事実を知ってしまうと、巷に溢れるラブストーリーの中で、男女がくっついたり離れたり、もつれたりほぐれたり、時に三角や四角になたりなんて話にも、結局最後はツーパターンしか無いんでしょと、ほぼ冷めた目線しか送れなくなってくるのものだ。ましてや、子供が主人公のファンタジーなんて、まったくお呼びじゃない・・・はずだったのに、 94分の上映時間を経た後、想像以上にとても暖かな、なめらかな、柔らかいものに包まれたような気持ちになれたのがとても嬉しい。アンダーソンワールド素敵過ぎますよ。

 主役の二人に振り回される大人達に多くの名優を配しながら、彼らが普段演ずる役側とはいささか違うキャラとしてセットされ、それぞれが主張を抑え、作品の世界に同化しているのも見所。ブルース・ウィリスが田舎警官、エドワード・ノートンが頼りないボーイスカウト隊長、ビル・マーレイとフランシス・マクドーマンドが倦怠期夫婦。 ティルダ・スウィントンだけは、はまり役四角四面の福祉官等々。その中で特にブルース、最高だよあんた!

 何かを深く考えさせられるとか、明確な主張とか、誰もが納得できる見せ場があるとか、そういったタイプの作品ではない。だけど、既に大人になって久しい人だって、全員が少年や少女だった。そんなかつて通った昔の路と、記憶に焼き付いた風景とを呼び覚まし、できるならもう一度触れてみたいと思わせる世界がそこにある。 日々の暮らしに疲れ、心がささくれ気味の大人にも自信を持ってオススメしたい、上半期ランキング上位入り間違い無しといたしましょう。


2013/5/30 川崎市アートセンター アルテリオ映像館にて
 
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 本作も既に発売済み。・アンダーソンワールドへようこそ。

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L.A. ギャングストーリー ◆ Gangster Squad [いんぷれっしょん]

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 アメリカ映画における伝統的且つ定番テーマといえば、言うまでもなく西部劇。次いでくるのが、ギャングものではないだろうか。こっちの本流は、禁酒法時代のシカゴを牛耳ったカポネと連邦捜査官の戦い、あの「アンタッチャブル」なんかが王道と思うが、今作は第二次大戦後、アメリカが政治と経済において隆盛を極めだした時代のお話だ。実話からインスパイアされたと冒頭にクレジットされていたとおり、ギャングは実在の男。時代は名作の誉れ高い「L.A.コンフィデンシャル」の前段あたりに位置する。

  なかなかの豪華キャストを揃え、自らを神と称した大物ギャングVSはみ出しデカ軍団のハードアクションストーリーというイメージには、結構期待を寄せていたのだが、少しがっかり。自分が楽しめなかった作品のことを書くことはあまりなく、黙っていることが多いのだが、どの辺が期待はずれだったのか、今回は自らの掟を破り具体的にこき下ろして進ぜよう。

 まず、戦いの構図についてのアイデアがどこかで見たことあるぞーという感じ。 我が日本には、ガンアクションの傑作、法で裁けぬ悪人を問答無用で退治するという、元死刑囚のみで構成される野生の軍団「ワイルド7」がいる。もっと時代を遡れば、女房と姑に頭の上がらない小役人「中村主水」率いる影の暗殺集団もいるじゃないか。実話ベースの話とフィクションを一緒にするなと言われるかもしれないが、私の中では同一線上なのだから仕方ない。(必殺との比較は言い過ぎたスマヌ)

  アイデアに既視感があるのなら、別のところで盛り上げてもらいたいと思うのは、金を払った者として当然の欲求。しかし、全体の構成が平坦で、見せ場というか花となる部分の重みもイマイチ。こういったエンタメ系のアクション作品は、後半~終盤の追い込みを上手に見せると、グッと盛り上がり、終わりよければ何とやらという印象を残せるのだが、冒頭にショーンペン演ずるミッキー・コーエンの残虐ぶりを見せつけ、おっ!という期待を持たせ、続いて、産声を上げたばかりのはみ出しデカ軍団のオマヌケで笑いを誘うなど、上々の滑り出しなのに後が続かないのはどういう訳だ。 作り手の力不足なのか、客が甘く見られているのか。もちろん、全体の構成はきっちり常道を踏んでいるのだが、どこか手薄感がぬぐいきれない。最終版の撃ち合いと、宿敵同士のタイマンなんかは、おー予想通りにそうきたですね~としか思えなかった。

 例えば、もっとハラハラ度を高めたいと思えば、ライアン・ゴズリング演ずるジェリーと恋仲になり、ミッキーを裏切ったエマ・ストーン演ずるグレースの身に、もっとじわじわくる恐怖を与えるとか、盗聴のコンウェイが襲われる場面なんか、あんなにあっさり殺られないで、もっと無念さを滲ませてみたりすれば、ギャングに対する客のこんちくしょう感も高まり、その後の戦いにのめり込めるのに、何でそんなに省略しちゃうのさ~と申し上げたい。

  そして、最も致命的なのは、オマラとジェリー以外のメンバーの描き方が薄すぎるところだ。そもそも命を落とす可能性が非常に高いミッションを課せられた軍団へのリクルートが、みんな数分で終えてしまうというのは無いでしょ~。 その辺を象徴するのが、かなり感動的シーンなはずのガンマン、ロバート・パトリック(T1000型さんですね)と愛弟子が絡む最期。それまでの感情移入が薄いせいか、さらりと滑ってしまってあまりにかわいそう。 オマラのモノローグによるプロローグ的な締めくくりも、ふーんという程度の感慨しか沸かないのは、やはり本編でグッとハートを掴まれていないからだろうなぁ~。かっこいいはずなのにもったいない。

 まあ、そうはいってもゴズリングのクールさはめちゃくちゃかっこいいし、あのヒット作で女子高生のヒロイン役を射止めたばかりのエマ・ストーンが、幼さと色気を共存させるいい女になっていて素敵だった。オマラ夫婦の関係もストーリーに巾を持たせていてエンタメ的には成功している。そして、ショーン・ペンの悪役ぶりはさすがと言うしかない。 このように、随所にきらっと光る所もあったと思うと、全体から受ける、まるで安手TVドラマシリーズのような印象が、返す返すも残念だ。アメリカ人の中流家庭がリビングで観るにちょうど良い出来映え・・という言葉を結論として差し上げましょう。次回作に期待。



2013年5月9日 MOVIX橋本にて

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ミザリー [迷画ギャラリー]

ミザリー2.jpg
 
「映画史に残る悪役ランキングTOP50」で、堂々の20位にランキングされたとか。確かにメチャ恐かった。

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ザ・マスター ◆ The Master [いんぷれっしょん]

The Master.jpg 太平洋戦争の帰還兵、粗野でアルコールとセックス中毒、社会に適応できずにいるフレディ・クエル。実在のものを下敷きにしたと言われている「ザ・コーズ」という新興宗教団体の指導者「ザ・マスター」ランカスター・ドッドと出会うことで、それまでの生き方を変化させていく。そして指導者の妻という立場であり、隠然たる存在の妻ぺギー。誰がどう見ても一筋縄では行きそうもない設定のドラマは、期待を裏切ることなく、多くの賞に輝いたPTA監督の前作同様、いや、更に楽しくなさ加減がパワーアップした重厚ドラマだ。

 ご覧になった方にはほぼ全員に異存ないことと思うが、主役のクェル役ホアキン・フェニックスと、マスター、ドッド役フィリップ・シーモア・ホフマン演技がとんでもなく素晴らしい。アカデミー助演女優賞にノミネートされ、高い評価を受けたエイミー・アダムスもかすむほどだ。

 ここに載せたポスター画像からも解るように、かなりのダイエットをしくぼんだ眼窩から、鋭く刺すような視線を送り続けるかなりイカれた男になりきったホアキン。やたらに弁が立ち、でっぷりした体躯と不思議な存在感で、うさんくささ120%の指導者となりきったホフマン。二人の出会いと別離までが物語となっている。

 偶然に出会った二人は意気投合し急速に接近する。「プロセシング」と呼ばれる治療法を施されたクエルは、まさに自分を救い導いてくれる存在としてドッドに心酔し、逆にトッドにとってのクエルは、恒にリーダー然として自制を持って振る舞うことを求められ、解放することを許されない自分の影の部分が人格化された存在として見ているかのようだ。

 こうして二人は互いを補い合いながら、「ザ・コーズ」の勢力拡大するのであった・・とならないところが、ポール・トーマス・アンダーソン作品ならでは。パズルの欠けた部分を補うかのように互いを必要としながらも、やがて別れてしまう。その理由が作品のテーマのひとつだとしたら、自分なりに考えるところも見つけられそうだ。

 クエルは、トッドと出会いその教えに共感することで、ザ・コーズの他のメンバーと同じような体験を求めたり、教義の理解を深めることを試みる。それが出来ればそれまでのダメな自分と決別出来るだろうとの期待を持って。しかし、本人の熱意や努力とは裏腹に、いくら真摯にドッドの導きに従っても、その境地にはたどり着けないばかりか、アルコールやセックス依存からも抜け出せない。ここにクエルの悲しさみ息苦しさが充満しているのだが、これはかなり人の本質に迫る話だ。 世の中に溢れる成功哲学や、それを実現する手段としての自己啓発への誘い。誰でも努力すれば社会的成功を勝ち取れるはずだから、あなたもがんばって・・という叱咤激励。でも、本当にそうなんだろうか? 「正しい」生き方への誘いを魅力的と信じ、懸命に努力しても報われないのは、 当人に問題があるのだろうか? 人は誰しも可能性を秘めていて、正しく開発することで、性格や知能が変えられるという成功者の導きには、その裏に彼らにしか通用しない理屈があるんじゃないだろうか。

 この疑問対する答えは、作品のエンディング、ベッドで行きずりの女を上に乗せ、プロセシングのまねごとを語りながら見せるクエルの幸福感と安堵感が漂う笑顔、およびそこに重なる曲に凝縮されているように思えるのだが。

 見終えてから数日間も考え続けられる作品はそう多くない。全編を通して一度もとぎれることなく流れる息苦しは、これを楽しめと言われても相当のMでないかぎり無理というもの。しかし、問題と答えをすべてフルコースで準備してくれる作品とは全く異なるPTA監督作品は、名だたる欧州巨匠の作品群のように、あるいは、重厚な純文学のように、遅効性肥料のごとく効いてくるのではないだろうかと思うのである。 レイティングでR15に指定されているのは、確かにクエルのパーソナリティに起因する性にからめたエキセントリックな演出が多く観られるからろうが、その本質を理解するにはもしかしたら「35歳くらい以上の大人向け」としたほうが良いのではとも思うのだ。

「ザ、マスター」というタイトルではあるが、主人公は教祖ドッドではなくクエルだ。Masterとは「所有者, 持ち主, 飼い主、雇い主, 雇用者, 主人、支配者, 統制者」といった意味合いがあるらしい。 定冠詞Theがついた本作の場合、どれが一番しっくりくるのか、見終えた後に考えてみるのも面白いだろう。

 TOHOシネマズ、ららぽーと横浜にて


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  PTA監督作品。作風が変わっているのが解りますね。

 


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ルーパー ◆ LOOPER [いんぷれっしょん]

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毎年のことながら、年末年始は仕事に追われて劇場から遠ざかってしまう。本意ではないのだが、生きるためには仕方ない。悔しいので、この間はなるべく新作の告知などは見ないようにしているが、一月も終わりに近づき、やっと物色出来た頃に食指が動いたのがこれだった。

 新旧のスターが並び立つ痛快SFアクション作品・・・と思って臨んだら、いささか趣が違った。なかなか考えさせられるテーマが仕込まれていて、とても楽しめた。

 タイトルや宣伝コピーから推察できるように、2044年タイムリープが実現している世界が舞台になっていて、時間を遡ってやってくる標的殺害を生業にしている殺し屋が、タイトルになっている「ルーパー」だ。 若きルーパーの主人公ジョーを演じるのがジョセフ・ゴードン=レヴィットで、30年後の同じ人物を演じるのが、ブルース・ウィリス。二人を隔てる時間の長さは、老ジョーのほぼ失われた毛髪をみれば一目瞭然に実感できるようになっているあたりの演出が親切だ。

 タイムリープをテーマにしたSF作品には面白いものが多い。過去の作品にも気に入っているものが沢山ある。その最大の魅力は、やはりタイムパラドックスにあることは、SF好きになら異存はあるまい。 過去の出来事の改変が、未来に影響を及ぼすというのは、多くの人の心理の根っこに触れる題材だからと思う。例えば自分自身の若い頃を振り返って見るとき、その頃の肉体的若さとバイタリティーに、現在の知恵や知識が備わっていたら、今の自分は全く違った人生を歩んでいるんじゃないかとは、誰も一度は考えたことがあるだろう。もし、過去の自分に逢ってアドバイスできたらと思わずにはいられない。一方、当時の自分が、突然現れるおっさんになった我が身から聞かされる言葉に、耳を貸すかどうかもやや疑問が残るところだ。要するに、その辺が凡人の凡人たる所以といったところだろうが、ジェネレーションギャップというやつは、古今東西普遍の問題なのだ。ヤングジョーも例外ではない。

 20代とおぼしきヤングジョーは、殺し屋家業で得た報酬を貯め込み、何やら将来へ向けた道筋を考えているらしいが、それはあくまで自己愛による発想で、麻薬に溺れ享楽的な日々を送っているのはいかにも若者らしい。そして、そんなエゴで固まった幼い価値観と、自分以外に守るべきものを携えてやってくる老ジョーの全く相容れない価値観との対立構図が、物語の肝をなしていると言うわけだ。 

 30年後からやって来るオールドジョーには、殺されるためだけに送り込まれてくるその他の標的人物とは異なり、明確な目的がある。その目的がはっきりする頃、この作品の本質が見えてきて俄然面白くなってくる。未来として描かれる、アメリカ人がもっとも恐れ嫌悪する管理された社会。そこに暗躍する巨悪という設定により、大人の観客を納得させる重みを持たせ、単なるSFアクションエンタメ作品とは一線を画す魅力になっているのだろう。 

 中盤あたり、レインメーカーの存在が見え出す頃舞台は農村へ。ここで流れのテンポがやや緩くなるのが気になる人もいると思うが、私としては、ストーリーの緩急シフトチェンジを狙ったアクセントとして肯定的に捉えている。加えて、全体を覆うリアルな世界観を、更に肌感覚にまで近づける効果を上げていると思う。特に未亡人サラが、その火照る身体を持て余し、訪問者ジョーを受け入れるといった色っぽいシークエンスは、おっさんウオッチャーとしては、リアリティーに喝采を送りたい。勿論、随所に見られる20世紀遺物のような薄汚れた歓楽街、登場人物達の普通!の服装。これらに混ざって異彩を放つ、スピーダーバイクのような未来的設定などはその真骨頂だ。

 終盤、ヤングジョーが直面するジレンマ。普遍的な正義と、心情的な正義が一致し得ない。正しさとは相対的な存在であり、判断する者の立ち位置で変化するという現実を前に揺れ動く主人公の心を、数分間で一気に見せる映像表現は見事だ。一部タイムパラドックスの齟齬などを見つけ出して細部をつつくのも、こういった作品の醍醐味のひとつではあるが、本作はもう少し高い目線で見るとより満足感が大きいだろう。テクニック的には、序盤に見せられるややグロな拷問シーンが伏線になって、ヤングジョーが老ジョーに送る意外なメッセージや、エンドシークエンスでヤングジョーの決断によって迎える結末でも回収されている。こいった仕掛けを最後に気づかされるのもたまらない魅力のひとつだ。


2013/01/24 MOVIX橋本にて

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メン・イン・ブラック  [迷画ギャラリー]

 
MIB3.jpg
 
Part4はあるのでしょうか?

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アルゴ ◆ ARGO [いんぷれっしょん]

ARGO.jpg  1979年に起きたイラン革命。冒頭で簡潔に説明される歴史と背景は、紀元前から続く大国ペルシャに対する、現代の覇権国家に関わりが上手にまとめられていて、当時の状況に明るくない観客にとっても優しいレクチャーとなっている。ここで語れられる革命前後の状況は、一般によく知られているものだが、実はこの裏にはもう少し複雑な分析がなされうることが専門家によって指摘されている。

 第二次大戦で疲弊した英国から、覇権を引き継いだ米国。イランに於いては、モサデク政権転覆にみられる所謂「反共の汚い作戦」を展開し、その一貫としてパーレビ親米政権を支え続け影響力を保ち続けた。そんな状況の中、イラン国内の反米感情の高まりによりシャーが追放され、代わりに反米イスラム主義のホメイニが亡命先から凱旋して実現したのがイスラム革命だとされているが、当時の状況を詳細に見ると、シャーを追い出してホメイニに権力を与える画策をした張本人は、アメリカだったのではないかという要素があるらしい。その影にはどのような意図があったのか、どんな力関係が影響を及ぼしたのか?いやはや小説も真っ青のストーリーだが、そのあたりの話は映画感想文のあとにもう一度語ってみよう。

 2月に起こった革命からしばらくの後、11月にこの事件は起きた。学生を中心として、国民を苦しめ続けたかつての国王とその亡命を受け入れた米国の行為に憤った大衆が暴徒化し、大使館を占拠、長期に渡り軟禁し世界中を驚かせたのが、よく知られたイランアメリカ大使館人質事件だ。本作は、その影で長期に渡って極秘にされてきたCIAの作戦を描いた、実話ベースの作品という位置づけだ。

 テヘランの大使館内に軟禁された、職員と警備の海兵隊員数十名の他に、極秘裏に脱出してカナダ大使の私邸にかくまわれた6名。見つかれば命の危険がある人々を、身分偽装し脱出させようという作戦がモチーフになっている。作品タイトルの「ARGO」は、その偽装に使われた架空の映画タイトルだ。CIAの脱出ミッションの専門家である、ベン・アフレック演ずるトニー・メンデスが主人公。協力者として登場する映画関係者、CIAの同僚や上司、果ては大統領から政府のスタッフまでがすべて実名での登場というあたりは、さすがアメリカと思わせてくれる。

 中でも、ジョン・グッドマン演ずるジョン・チャンバーズは、劇中でも取り上げられているあの「猿の惑星」の特殊メイクで知られる人物。事前の宣伝コピーからは、この技術を駆使した作戦で、全く別人になりすまして国外脱出するのかというまるで「スパイ大作戦」ばりの騙しテクを期待するような先入観を持ったが、実際に展開された作戦は全く別物だった。誤解の無いように申し添えると、奇想天外さが少ないからがっかりではなく、リアリティー溢れる緊張感は、良い意味で期待を裏切られ、最後までスクリーンに釘付けされる面白さだ。

 憎悪に燃え暴徒化して、制御不能となっている群衆にの中に取り残され、敵対国の囚われ人という立場になってしまった者たちの状況は、実話に基づいているとはいえ、十二分にサスペンスだ。「外交関係に関するウィーン条約」など全く存ぜぬ大衆の発するアジテーションは、日常彼らと接する機会の多かったはずの大使館職員とて恐怖だったろう。冒頭になされる状況説明と、押し寄せる群衆の映像でイランの人々の怒りがもはや沸騰点を遙かに超えているのを見せられているから、映像を見ているだけの私達もにもその恐怖は伝播する。

 作品の構成という面に目を向ければ、孤立無援で救援をひたすら待つ心細さ、いつばれるかも知れないという恐怖を押し殺して、平静を装いながらひたすら堪え忍ぶ現地の人々心理描写を陰とすれば、メンデスが力添えを依頼した、ハリウッドの映画関係者のノリは陽として描かれる。この絶妙の対比が、実話ベースのストーリーにエンタメ性を加えているところだ。時代はスターウォーズが公開され、SFブームのまっただ中。どう見てもパクリじゃんと、突っ込みたくなるキャラクター達の登場や、脅しやすかしを駆使する業界特有の交渉シーンなどはいかにも西海岸的で、同じアメリカ人とはいえ、ラングレーの役人達とも全く違うところはちょっと笑える。

 作戦進行に平行して、6名プラスカナダ大使の揺れ動く心理描写も緩急を交えて冴える。終盤は息をもつかせぬ追い込みで、ぐっと力も入る。作戦中止の命令とメンデスの苦悩。空港での脱出に向けたクライマックス。機内に流れるアナウンスでリリースされる緊張と、押し寄せる感動。すべてが見応え十分。メンデスにまつわる後日談や、エンドロールまで楽しめる極上の社会派エンタメと言えよう。監督兼主演のアフレックあっぱれ!

 さて、冒頭に書いたイラン革命の裏に隠されたアメリカの意図とはいったい何か? 第二次大戦後、米国の軍事産業やマスコミをたきつけ、ソ連に対する脅威感を煽り、冷戦の構図を作ったのは覇権から手を引いたかに見えた英国の暗躍だ。そしてソ連崩壊の後、対イスラム(テロリズム)という新たな対立構造を作りだし、軍産複合体を中心に富を産む構図を創造するための戦略に沿ったものだったのだ。 さて、最近再選されたリベラルの象徴オバマは、この支配構造とどう向き合うのか? グローバリズム、多極主義、覇権主義が混在する現在のアメリカの行方と、SNSを中心とするインターネット技術が市民革命に果たす役割とは? 中東のリアリズムを見せられると、様々なパワーバランスや問題点も見えて来るではないか。


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ライク・サムワン・イン・ラブ ◆ Like Someone in Love [いんぷれっしょん]

Like someone in love.jpeg イランの巨匠キアロスタミ監督が、日本を舞台に日本人俳優を使って撮った作品。主立った登場人物は数人、半日余りという短い時間を描いたストーリーは、小作品の部類に入るだろう。上映館は全国でも僅か数館。巨大シネコンでは絶対お目にかかれないだろうけれど、偶然にも出逢えて本当に良かったと思える作品だった。

 エンタメとは対局にあり、パッションやエモーション喚起が全面に出るではなく、かといって、理性や知性を総動員して作り手の隠された意図を必死で読み解くといった難解タイプでもない。摩訶不思議な空気を持った所謂「味」を楽しむ作品と評したら近いかもしれない。人生に於いて、人と人とが何かの縁ですっと近づいたかと思うと、いつの間にか自然に、そして必然的に離れていくように・・。あるいは、誰かの身の上を、ちょっとだけ興味を持って覗き見てみたらこんな風に見えましたという感覚か。「終わりも始まりもないストーリー」とは、作品チラシに書かれていたコピーの一部だが、言葉通りの作り方がその感を強くしている。

 第一幕 深夜のバーとタクシー 第二幕 独居老人の部屋 第三幕 横浜の大学近くの車中 第四幕 フィナーレ こんなシンプルな構成だ。登場するのは、80歳過ぎの元大学教授タカシ、デートクラブでアルバイトをしている女子大生明子、そして自動車修理場を経営しているその恋人ノリアキという僅か3人。それぞれを演ずるのが、奥野匡、高梨臨加瀬亮。それは、普通の人の目には見えにくいかも知れないが、メインストリートから少し横道に入ってみたらすぐに見つかるような人生模様だ。

 始まりから説明らしいものは一切無い。予備知識や、人物の配置とか関係など何も教えてくれない。そして何となく、且ついつの間にかという感じで物語は動き出す。だから、見ている私達の想像力はビンビン刺激され、舞台の情景や役者達の言葉から、その背景や過去を必死で推理推測させられ、画面を追う目と脳みそは、一瞬も休む間をもらえない。決して張り詰めているとは言えない作りなのに、何故か不思議な緊迫感がずっと続く。何とも形容しがたい空気だ。そして、聞くところによると、演じる役者達でさえ、その日撮影分の数行のセリフだけを渡されて、役についての過去も数秒先の未来も教えられなかったという。うーん、なるほど。

  そんな底意地の悪い作り手が用意した会話劇は、そのすべてが味わい深いのは前述したとおりだが、その中でも秀逸だったのが、タカシが明子を待ちながら、大学の前に停めた乗用車でノリアキに出会い、距離を詰めていくシークエンスだ。一人の女をめぐり、相容れない立場の男二人。本心と事実を隠した老人の平静を装う老獪と、女への愛をストイックに語る若い男の、今にも点火しそうな危うさ。僅かな視線の動きや表情の変化すべてが上質なスーパー演出と演技は、母国語で映画を味わう喜びを堪能させてくれる。

  必死で先読みする私達の予想を、まるっきり覆えして唐突に切られるラスト。あっけにとられながらも、その後を想像せざるを得ない。どのように収まるのが最も座りがいいのか、あるいは最悪の結末がふさわしいのか、懸命に頭を回転させても明確な形の見えない終わり無きエンディングは、ノリアキの怒号とともに不思議な余韻を持ってフェードアウトしていく。

2012/9/28 川崎市アートセンターアルテリオ映像館にて

 


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