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her/世界でひとつの彼女 ◆ her [いんぷれっしょん]

 her.jpg今年の梅雨時に、奇しくもAI=人工知能をモチーフにした作品の公開が重なった。そのうちのひとつがこれ。離婚寸前の傷心男が、コンピューターの音声エージェントソフト(劇中ではOSと呼んでいる)に恋してしまうという、いかにも近未来に起きそうな出来事をモチーフにしたお話。主演をホアキン・フェニックス。コンピューターの声をスカーレット・ヨハンソンが色っぽく演じている。現在妊娠中と伝えられる彼女、スクリーンに登場せずとも存在感を示して、しっかりお稼ぎのところは、さすがスーパースターと関心。いえ、褒めているのですよ。

 情報テクノロジーの進歩は停まることなく、日々蓄積される情報の量は天文学的。大手の検索サイトや、ショッピングサイト、SNSを通じて収拾される個人の行動や趣向の履歴は高度なテクノロジーによって融合・処理され、PCの画面に「あなたへのおすすめ」として現れる商品やサービスは、かなり鋭いところを突いてくると感じているのは私だけでは無いだろう。そのうち、ショッピングセンターの中を歩いている最中に、手持ちのスマホから「あと10mで、あなたへオススメのクールな新商品を手にとってご覧いただけますよ」なんてCMが流れる日も近いのではないかと思う。

 このお話の舞台は今より少し未来のようだが、今のIT事情の延長線上にありそうな設定がとてもリアル。登場する市民は折りたたみ式の映像端末を手に、耳にはイヤホン型の出入力デバイスを付けて暮らし、ネットを通じてコンピューターに話しかけ、対話式に情報を収集処理している。映像や文字が必要なときに、手に持った端末で確認するというスタイル。要するに、常に自分のPCと繋がっていて、個人の情報が今よりもっと一元的に管理されているという設定なのだ。ネット上に流れて集められる情報からでさえ、個人の趣向をかなり的確に握られている状況において、PCの内部に蓄えられた個人情報までまるっと分析された日には、深~くすべてお見通しされることは明らか。セオドアがOSサマンサをインストールするとき、「HDDの中を見ても?」と問われて一瞬躊躇するが、あんな画像やこんな動画、そんな文章やらあの閲覧履歴なんかも見られちゃうの?え”~?という葛藤があったのは間違いない。

*googleのアカウントのお持ちの方はログインして、ダッシュボード→アカウント履歴→広告→設定の編集と進むと、あなたの検索アクセス履歴から、興味・関心をgoogleがどのように分析しているか分ります。

 そんなリアルな状況設定に加え、主人公が手紙の代筆業という仕事に就いているというシチュエーション。情感たっぷりの文面をPC端末に向かって日常的に語っているというパーソナリティも、生身の人間とAIが恋に落ちるというストーリーに説得力を与えている。物語の最後に、OSに関わるある数字が出てくるのだが、セオドアと同じ状況に陥るユーザーが一定数いたということを表していて、それが同じタイプの人間の潜在数を表しているのだとすれば、今現在、美少女フィギュアや、バーチャルアイドルにお熱を上げる青少年の皆様の将来像に近いのかもとも想像してしまうのである。

 そんな背景の上に進むストーリーは、相手がAIという特殊事情を除けば、とても正統派の純愛物語であり、恋の始まりから終わりまでを、セオドアの表情を主体にしてきっちり描いて見せてくれる。 男の側をメインに描いた恋物語は、ちょっと間違うとうじうじしたものになったり、あるいはやたら過激な方向に行ってしまいがちだが、本作では主人公を結婚経験のある大人に据えているから、その辺は抑えめで、細かい感情起伏の表現が秀逸である。セオドアの元カノ、エイミーに語らせる「恋とは社会的に許容された異常な心理状態」のセリフどおり、離婚を前に落ち込みがちだった主人公が、次第にウキウキ明るくなっていく流れには、恋の魔法に掛かった経験を持つすべての人が納得できるはずだ。

 そして、大人の恋バナといえば避けられないのが肉体的な繋がり。実態のないプログラムとの関係で、その辺をどう処理するかという疑問にも答えを用意しているあたりは、さすがアメリカ映画、なるほどスパイク・ジョンズ監督。日本産のアニメなんかだったら、コンピューターを擬人化したファンタジックな妄想シーンなんかを挿入して、台無しにされそうな気がする。その点では、サマンサの声を、美少女を連想させるキュートなアニメ声でなく、ハスキーなスカーレット・ヨハンソンに当てさせたのも好感度高い。セオドアとサマンサが初めて結ばれる夜のシーンで発せられる彼女の声は、これから発売されるであろうメデイアから吸いだし、繰り返し鑑賞したいくらいである。念のため申し上げておくと、別のSF大作で、はち切れそうなナイスバディを黒皮ジャンプスーツで包んだ彼女のイメージを頭に置いているからという、余計な理由からでは断じて無い。

 完璧に自分を理解し、常に寄り添い、半歩先を読んで先回りしてくれることもある。必要の無いときには接触を絶てる相思相愛の恋人の存在が現実だったら、それを失う喪失感の大きさが計り知れないというのも想像に難くない。ネタバレを恐れず書くとすれば、ストーリーのエンディングは、ロストラブのそれであり、古今東西普遍の感情、虚無感とか空白感などと表現される「しょんぼりマインド」が、また共感を誘うのである。同じ境遇になったエイミーと互いの傷心を慰め合い、寄り添うシーンが印象的だが、やはり生身の人間のほうがいいよねーみたいな説教臭い方向に行かないところも大変よろしい。

 さて、そろそろしめくくりにしようと思うが、もし近未来に、この作品で描かれたシチュエーションが現実になったら、男としてはどうだろうかという想像をしてみたい。20年以上連れ添った旧女房に、日々ときめくというご同輩は非常に少数と思われるが、生涯現役とは行かなくても、時には恋愛ホルモンPEAプラス、ドーパミン、オキシトシン、エストロゲンがもたらす快感に浸ってみたいという希望も捨てがたい。では人の道を踏み外し、先日鬼籍に入られた文豪(?)渡辺淳一の失楽園ワールドに踏み出すとなると、引き替えに失うものも多そうだ。とすれば、サマンサのようなカノジョがいたら、社会的家庭的許容範囲内での恋愛ができるというものでは無かろうか。もし実現した更にその先には、夫がコンピュータの音声エージェントソフトと浮気したことが原因の、離婚訴訟などというところまで進むのだろうか?うーむ、深すぎて読めません。

2014/7/3 MOVIX橋本にて



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スパイク・ジョンズ監督作品とえいば、やはりこれでしょう。


ぼくたちの家族 [いんぷれっしょん]

 ぼくたちの家族.jpg石井監督が描く家族の風景が好きだ。日本アカデミー賞の作品賞を受賞した前作を見ていないので、それより前の少しマイナーな香りのする作品と対比することになるけれど、初期作品の、ビッグネーム役者をほとんど使わずに、実に味わい深い等身大日本人を描くスタイルとセンスは、今回も少しも変わらず発揮され、期待を裏切られなかった。 物語の舞台設定や、登場人物像の演出などが、どこにでもいる感近親感に溢れていて、随所で深い共感を抱かせるところは小憎らしいくらいだ。

  首都圏から離れた地方都市に住む若菜夫妻の年齢は50歳代後半といった設定だろうか。既に結婚して家庭を持った長男夫婦が、第1子を授かったというめでたいエポックに前後して、妻に異変が起きる。あろうことか、妻であり母である家族唯一の女が、いきなり余命1週間の宣告を受けるというせっぱ詰まった状況に陥るのだ。いい歳してあまり頼りにならない父、かつて引きこもっていたというちょっと気弱だが頑張りやの長男、調子が良いが、やたらに現実的な大学生の次男という男三人と、脳障害のせいで、やけに子供っぽく純になっていく母。四人の数日間を描く中で、崩壊間際だった家族のかたちがどのように変化していくのかを、とても暖かい目線で見つめていく。

 舞台設定や人物の演出がスーパー平凡且つリアルに徹しているから、観客の目には自身の状況や感情が重なるところが必ずあるはずだ。どの人物に共感するか。自分自身を投影するのか。あるいは半歩引いて、隣人のような目線で見守って行くのか。感じ方味わい方は性別や年齢によって人それぞれだと思うが、この若菜家の姿は、戦後から高度成長、そしてバブル経済の時代に上ばかりを見ていた昭和家族像とはひと味違う、既に20年以上経過した平成日本の価値観や現実がとても上手に投影されているという点で観客全員に異存はあるまい。

  個人的に一番「やられた!」感を強く持ったのが、入院中の母玲子が他の家族三人を前にして、心情を次男俊平に語り出すシークエンスだ。夫克明や長男浩介のことを見分けられなくなっていた玲子は、家庭を持ってから今までの心の内を家族の前でさらけだす。「お父さんと浩介がここにいないから言っちゃうけどね~」という言葉に続
いて語られる内容は、昭和~平成と時代に沿って生きた中流日本人の妻・母たちの公約数的な心情ではなかろうか。その言葉を前に、何も言わずにうつむく夫と長男の姿から漂ってくる、ある種の後ろめたさを嗅ぎ取ることは容易であろう。

 そして、もう一組の夫婦、長男浩介と深雪。夫は、両親の家計が既に破綻している事実を身重の妻に打ち明ける。このときの若妻のリアクションと、その後の演出には舌を巻いた。自らを「みゆき」と名前で呼ばせ、自己中心の小さな世界観を唯一絶対視している妻。一番大切な日は?と聞いたら、自分の誕生日と答えるタイプ
じゃなかろうか。当然舅夫婦への援助を拒絶。その状況を受け入れざるを得なく、実家の危機との板挟みでもがく長男。これまた平成日本で家庭を持った男の立と価値観とを見事に描いて見せる。あるあるある・・・と心の中でつぶやくことしきりである。。

 後半は、危機に立ち向かい奮闘する息子二人を中心に語られる。家族の難病と同時に、家計の危機というこれまた現代的な難題を前して、一歩一歩前に進んでゆく様にも強く共感を抱く。困難を共有し、解決に向かって力を合わせる行為が、人と人の結束を強くするというのは社会心理学で取り上げられることが多いが、この兄弟の頑張りはそれを地でいっている。物語の最初とは明らかに変わってきて、成長の跡が見て取れる兄弟。二人が終盤に向けて下して行くいくつかの決断とそれに伴う行動を、本人の口で語らせないスタイルも日本人男子のメンタリティーに配慮した演出であろう。 そして、困難克服の過程が、大人へ向かうときに通るべきイニシエーションだと考えれば、息子二人に加え、イマイチ大人になりきれていなかったような父親の、遅すぎる脱皮への機会だったと捕らえられるかもしれない。

  玲子の手術後、待合いの通路で肩を組んで喜び合いすすり泣く父と息子を写すカメラは、最後まで彼らに近づかずに、やや引きの構図を保つ。仕事をなし終えた男の涙を、顔ごとクローズアップで撮るといった無粋を避けた演出が心憎い。嫁みゆきと姑が顔を合わせる大団円も、ことさら感動を強調することなくさらりと描く。後味の良さが際だつラストも秀逸である。次回作にも期待大。

2014/5/28 109シネマズグランベリーモールにて


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セッションズ ◆ The Sessions [いんぷれっしょん]

セッションズ.jpg 映画通を唸らせる、先見性に溢れた作品を次々送り出す、FOXサーチライトピクチャーズ。創立20周年を飾る作品として製作リリースされたそうだ。大手資本の傘下にありながら、所謂ハリウッド的ではない、どちらかというと、インディーズの香りさえする作品群に魅了されているファンも多いことだろう。私もその一人だ。

 本作も、非常にレアなテーマにフォーカスしている。障がい者の「性」。主人公自信の著書を下敷きに作られたとのことだが、いや~目の付け所がスゴイ!幼くしてポリオを患い、首から下の筋力を失った、詩人でジャーナリストの中年男マーク・オブライエンが、自らと同じ障がい者の性をテーマにした記事依頼を受けたことと、自信の失恋をきっかけにして、男として名実共に一人前となるため童貞喪失に挑むというストーリー。その手助けをしてくれるのが、美しきセックスサロゲート(という職業が存在するのですね~オドロキ)シェリル。この二人の数回にわたる「セッション」、性の実地レッスン描写をメインに、主人公の成長と葛藤が綴られるというものだ。

 身障者の性については、マスメディアや専門家の書物などで希に取り上げられているのを眼にすることがある。 興味本位で覗いてみたら、その実態に驚かされることもあるだろう。だが、少し想像力を働かせてみれば、生物学的な根本欲求のひとつであるところの「生殖」は、呼吸、食、睡眠などと同じレベルな訳で、成人となった人には必須の問題なのはすぐに理解できるはずだ。そういった観点からも、この作品がつくられ、多くの人々に気づきを与えてくれたことも、それなりに義深いと言えるのではないだろうか。

 とはいえ、障がいを持つ人および性という、ともすれば一般社会に於いて、決して常に陽の当る場所に置かれているとは思えないことがらを繋げて、ともすれば、ウエットになりがちなテーマを、非常にユーモラス且つ抜群のセンスで、からりと明るくポジティブに描いているところは、ナイスと言うしかない。 作品全体に漂うそんな雰囲気は、主人公マークのキャラクターに負うところが大なのは勿論だが、脇を固める友人やヘルパー達の人物像も、非常に魅力的に描かれ、作品全体に暖かみをプラスしている。マークが恋心を抱いた美貌のヘルパーアマンダ。その次にやってきた中国系女性ヴェラ。どちらの個性も好ましいキャラとして非常に立っているが、一番楽しませてくれるのが、ブレンダン神父。堅苦しいイメージがつきまとう聖職者らしからぬ、非常に人間味溢れる人物として描かれ、逐次相談及び報告されるマークのセックスセッションについての受け答えで、その目に見せる狼狽ぶりなどは、ほぼ爆笑ものである。

 こうして、冷静ぶった感想など述べてみたりはしたが、やはりそこはおっさんウォッチャー。本音を申せば、サロゲートシェリルがマークの元にやってきて、簡単なレクチャーのあとすぐに始まった実地レッスンで、いきなり美しき全裸をご披露くださり、性技の「いろは」を始めたのには、「お!」「ふむふむ」「実によろしいですな~」などと、心の中でにやついていたのも事実。所謂、風俗嬢のそれとは全く違う、ムードなどかけらもない実技は決してポルノチックではないのだが、美しきアラフィフ熟女演じる「床」演技には、少なからずコーフンしてしまうのも致し方ないとお許し願うしない。

 マーク・オブライエン無事男になれたのか?当初6回と想定されていたセッションが、2回を残して打ち切られるのは何故か。マークが何を得られて得られなかったものは何か?終盤にやってくる大人のドラマもしみじみ良い。そしてエンドシークエンスを見終えた後には、心に暖かい風が吹き込むような、心地よい余韻を味わうことが出来ること請け合いだ。特に、最後に登場する、不思議な縁で繋がった二人の女性が、眼差しで交わす大人のやりとり、素敵過ぎです。

2014/2/13 シネマジャック&ベティにて

 


本作の主な登場役者過去の出演作 それぞれ助演していますね。

 

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ザ・イースト ◆ THE EAST [いんぷれっしょん]

THE EAST.jpg ゴールドマンサックス出身の才媛、ブリット・マーリングが主役を努め、製作にも携わっていると言う新作。同じシチュエーションには名作の声多数の「アナザー・プラネット」。制作も同じFOXサーチライトピクチャーズ 期待せずにはいられない。おまけに、同社の設立20周年を記念してリリースされたとくれば、なおである。

 社会派サスペンスとでもカテゴライズされさそうなテイストだ。私自身、最も大好物のジャンルである。タイトルの「ザ、イースト」とは、環境テロリスト集団。企業利益のために、環境破壊や薬害など社会の為にならない行動を取る大企業に対して、制裁を加えるのを目的に活動する、言わば義賊団体。 一方主人公は、そういった輩を排除したい企業に依頼され、被害を食い止めるためのコンサルティング企業で、エージェントとして働く。組織に潜入し、その活動を内部からスパイしたり、工作を未然に阻止するのが使命だ。(ホントは、”ずぃ・いーすと”と発音すべきなのは、中学英語で習いましたね)

 企業は誰のものかという、シンプルでありながら簡単には語れない理屈。企業規模が大きくなれば、多くのステークホルダーが存在する。その中で、古典的ではあるが、最も解りやすいのが、一義的には出資者である株主のものという考え方ではなかろうか。企業とは、出資者である株主の利益最大化を目的に活動するもの。要するに、生み出された利益の仲から配分を受けることができれば出資者は喜び、その功績に対して経営者は巨額の報酬を手にすることが出来る。それ以上でもそれ以下でのないという考え方も確かに正論。その課程で社会貢献や、社員の福祉向上などを実現すれば、ブランド力は高まり尊敬される存在となり、企業としての付加価値は増す。株価も当然上がるだろう。しかし、逆のパターンで、金儲けのため、外部から見えないところで社会に害を及ぼしているとしたら。また、それを金や政治の力で隠蔽していることを知ってしまったら、市民としてはどう行動すべきかという視点で描かれるのが本作なのだ。

 物語のトーンはサスペンスタッチで進行する。最近はあまり目にしなくなったスパイスリラーのような緊張感が良い。 主人公サラが 工作のあげく見事潜入した組織は、非常な不気味さを醸す。古びた廃屋のようなアジトでの共同生活風景。あたかもカルト教団のごとき様相だ。その中で、メンバーの目を盗み内偵する主人公を、人と同じ目線で追うカメラはぴりぴり緊迫。仲間として受け入れられるのか? 異分子として扱われるか、はたまた正体がばれるときがくるのか? それが間もなく試されるときがくる。潜入した最初の晩餐シーン。拘束衣を着せられ、両手の自由を失ったまま食べ物を口にせよと命ぜられる。当然困惑するサラ。自分なりに答えを見つけたあと、メンバー達が見せる別の答えには、観客もあっと驚かされるだろう。組織のメンバーが共有する価値観が、シンプル且つ鮮烈に見えた瞬間だ。プライドを粉々にされたエリート女捜査官の、いらだちととまどいが見事に凝縮され、かなり見応えがあった。

 都会的で上昇志向、任務に忠実だったサラの心が動くターニングポイント、製薬会社襲撃計画を知って上司に報告。予想と異なる意外な返答。そしてその帰りにメンバーの一人、薬害に苦しむドクの身の上話を聞いてからだろう。犯罪集団かテロリストだと思っていた連中が、実はまったく違うということを知ったときに、大きなジレンマに苛まれる。ポスターのキャッチコピーにも書かれている、相容れない価値観の板挟み、理想と現実の狭間での立ち往生状態は、普通に生きている大人なら一度や二度は経験があるだろうから、非常に受け入れられやすい設定だ。観客の側から見れば、当初不気味に見えた組織の実態も、メンバーの個性や活動の細部まで目にして、その根底にある倫理感を知り、既に彼らの行動にある程度の理解と共感をもっているだろうから、サラが何時どの段階で変節し、「寝返る」かというところに興味が集中するわけだが、果たして・・。

 聡明な主人公が、最終的にどう決断し行動したかというのは、エンドロールに断片的に見るスチル写真から解るようになっていて、そこから見える制作者の主張は明かである。悪質ないたずら程度から、企業幹部の人命を脅かすかも知れない破壊的工作まで、組織の活動は幅広いが、それを是とするかで評価が分かれるかもしれない。しかし数年前、ウィキリークスによって暴露されメディアを騒がせた、大企業による環境活動家への関与の事実と照らし合わせてみれば、この作品の構図はかなり事実に近いものだということは想像に難くない。先進国においては、超大企業と政府が一体化、特にアメリカにおいてはFBIが私企業の利益のために動くことがあり、そのせいで、「ザ・イースト」のような団体への締め付けが厳しくなりつつあると言われているとか。それが何を意味するのか? もはやSF中の想像の産物でなく、進行しつつ事実の延長上にあるのだという警告として受け止めるべきだろう。思考を止め、大きな潮流に身を任せて生きていくことは楽であるが、その先にどんな未来があるのかを、時に考えてみる必要もありそうだ。

余談:この作品はL.A.Times紙の読者が選ぶ“2013年度 最も過小評価された映画”ランキングの1位に選出されているとのことです。

2014/2/6  TOHOシネマズららぽーと横浜にて


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セブン・サイコパス◆ Seven Psychopaths [いんぷれっしょん]

セブンサイコパス.jpg 映画が面白いと思えるか否かは、ほぼストーリーで決まるね!と思っていらっしゃる方は多いと思う。勿論それは正しいが、プロットがふにゃふにゃなのに、シナリオや編集が巧みだから、映画としての完成型が素晴しく面白くなっているというパターンも多い。この、イカれた面々が沢山登場するイギリス映画も、正にそんなポジション。かなりキツメな暴力&殺人描写が満載、文科省の推薦は100年経っても貰えそうにないオフビート大人コメディ。

 大まかなストーリー、スランプで筆が全く進まないハリウッドのシナリオライター、マーティ(コリン・ファレル)。その手助けをしようと、売れない俳優の友人ビリー(サム・ロックウェル)は執筆中の作品タイトル「セブンサイコパス」のモチーフにするため、本物を募集したところすぐに応募者ザカリア(トム・ウェイツ)が現れる。彼の犯罪歴を披露され、その驚くべき内容に打ちのめされ、めでたく脚本の糸口を見つけることができた。一方ビリーと初老の友人ハンス(クリストファー・ウォーケン)は、愛犬誘拐ビジネスで稼いでいるうちに、裏社会ボスの逆鱗に触れヤバイことになる。こうして図らずも、マーティーの廻りにはサイコな連中が集まってきて、シナリオのネタにはことかかなくなるのだが、彼ら自身も抜き差しならない状況に・・・。

 サイコパス天国アメリカ。Wikiによれば、北米に少なくとも200万人、ニューヨークには10万人が存在するとか。新聞広告で「サイコパス募集!」と やったら、すぐに応募者が現れるという設定には、そういった状況が普通にありがちという認識なんだろうか?少なくとも、世界有数の大都会トーキョはそこまで病んでいないだろうと救われた気持ちになる・・という副次要素を確認したりして。

 前半は登場人物のキャラクターご紹介という感じで、顔見せ的な短めエピソード連発。それがすべて血しぶき飛び散るか、誰かが死んで終るというあたりが、徹底したサイコぶり。間抜け顔のチンピラ小悪党コンビが、いきなりその生涯を閉じるオープニングシークエンスは、この映画の素性と行く先を如実に表し、不安と期待が交錯する見事な掴み。募集広告に応募してきたザカリアと妻の殺人遍歴は、間違ってもテレビドラマでは見せられないきっちりR15。実在の犯罪者ゾディアックを探し出し、テーブルに磔けしてガソリンぶっかけ焼き殺すなどはさらっと描かれているけど、B級ホラーならメーンイベントに持ってきても良さそうなくらいだ。

  基本は、現実に起きている事と、マーティーの頭の中にわき起こるシナリオの構想、そして誰かがマーティーに披露した話しを同時並行的に映像化されので、そのリズムに馴染むまではしばらく頭にハテナを点滅させることになるのだが、やがてそのテンポに同期し、快感さえ感じている自分に気づく。それぞれの世界が全部暴力まみれというのにも、きっちり筋が通っていて、大変に好ましい。見終えた後には、あたかもスポーツ後のような心地よい疲労感さえ漂う見事なシナリオでありました。

  ポスターの中央に仁王立ちし、オレ主役だもんね~という佇まいのコリン・ファレルだが、物語中の役どころは、廻りにうじゃうじゃいるサイコパスに振り回され、ひたすら困っている一般人というキャラで、トレードマークの黒々ぶっとい眉がやたらと「八」の字型になるケースが多いのが非常にハマっている。 主役ながら存在感抑えめのマーティーとは対照的に、尖りキャラなのが、友人ビリーと敵役のチャーリー(ウディ・ハレルソン)だ。中盤から後半へ切れなく続く絡みは、東西正横綱相まみえる千秋楽結びの一番、がっぷり四つで両者譲らずという感じで、どちらに軍配を上げたくなるか迷う。そして、この二人にも増して存在感抜群なのが、ビリーのビジネスパートナー、ハンス(クリストファー・ウォーケン)だ。この人、最近の出演作はどれを見ても、重厚感抜群の役どころばかりなのだが、今作の重さも半端じゃない。つーか、フツーじゃない。マーティーの脚本「セブンサイコパス」のネタとして披露される、クエーカー教徒の話しや、病気療養中の彼の妻、そして終盤に語られるベトナム人の挿話など、ハンスに絡むエピソードには「なんじゃそりゃ~!」の連続でありました。

 そして、脚本としてこの上なく秀逸だったのが、女優の使い方ですな。アビー・コーニッシュ、オルガ・キュリレンコ、ちょっと変化球のガボレイ・シディベなんかの一流どころを、ほとんどセリフ無し添え物的ちょい役で贅沢消費していらっしゃる。随分粋なことして下さるじゃありませんか。

 ことごとく予想を覆されながら迎えるエンディング。そのすべてが終わった後、ザカリアがマーティに電話してくる。「おまえ何だか変わったな」とのセリフにかぶるマーティーの茫然自失顔には、激しく共感すること請け合いだ。お疲れ様とお互いにねぎらい合おう。

2013/11/17 横浜ブルグ13にて



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25年目の弦楽四重奏 ◆ A LATE QUARTET [いんぷれっしょん]

  25.jpgステージ上に立つフーガ弦楽四重奏団。演奏会の始まりと同時に、物語も始まる。静かで美しいプロローグ。 25年の長きに渡る演奏活動、強い信頼関係と互いへの尊敬によって支えられてきた、高度な芸術性と演奏力。この楽団のメンバー4名が物語の主な登場人物であり、ほぼ全員が主役だ。最年長メンバーでチェロ担当のピーター(クリストファー・ウォーケン)が、パーキンソン病と診断され引退を決意することで、メンバー間に動揺が走る。解散か?新たな奏者を迎えるのか?難題に直面したメンバー同士の、初めは小さな衝突が、次第にエゴ、嫉妬、ライバル心など、封印したはずの思いの噴出へと繋がり、やがて大きな対立に。確固たるものと思われていた友情と結束力が崩れかけてしまう。正に不協和音。 そこには、音楽芸術という繊細なテーマを生業とする職業人達が、その感性ゆえに持つメンタリティーが背景にあった。

 物語の始まり近くで、学生を相手に講義するピーター。ベートーベンの名曲「弦楽四重奏曲第14番」について語るその内容は、この曲の特性に言及する。7楽章という変則構成と40分に及ぶ演奏時間。そして、他の室内楽曲と最も異なるのは、楽章間に休みを入れずに演奏することとされている特殊性。弦楽器は演奏が長時間に及ぶと、チューニングが乱れてくるという宿命がある。そのままアンサンブルとして継続すべきか。一旦休止して、正しい調律に修復すべきか。判断をゆだねられる演奏者の葛藤は、まさに人生のそれと同じであり、これから始まるストーリーへの暗喩であることにやがて気づかされることになる。

  クァルテットのメンバーとしてキャスティングされているのが、フィリップ・シーモア・ホフマン、クリストファー・ウォーケン、キャサリン・キーナーそしてマーク・イバニールという円熟の俳優陣。他の三人の教師であったピーター(ウォーケン)が少し年長で、あとの三人は人生のほぼ半分、そして音楽家としてのキャリアのすべてをこの楽団に捧げているという設定。冒頭のリラックスしたリハーサル風景に、互いの濃密な歴史と、小さな問題の発端がさりげなく描かれ、後半とのコントラスト効果となっている。

 ストーリーの始まり1/3頃から、次々わき起こる問題と葛藤、次第に見えてくる、メンバー同士が長い時間をかけて積み上げてきた関係。セカンドバイオリンとビオラの担い手であるロバート(ホフマン)とレイチェル(キーナー)夫婦の愛娘までが絡んで、言わばぐちゃぐちゃな様相となってくるのを、休み無く一気に見せてくる演出が非常にうまい。あれだけの問題を詰め込みながら、ゆったりした感覚と、しかりした間を保ち、尚かつきちんと整理された演出の手腕は、脚本も手掛けたヤーロン・ジルバーマン監督、なかなかのものである。ただ、ロバートとレイチェルの娘、アレクサンドラとファーストバイオリン、ダニエル(イバニール)との関係に至っては、おぉ、さすがアメリカ人とは思うが、日本人としてはちょっと引いてしまう設定ではある。

 さて、こうして修復不可能とも思える危機状況に陥ったメンバーの関係。楽団としての行く末等、最後の落とし所をどうまとめるのかという興味が高まる頃、スクリーンでは開催が危ぶまれた演奏会が唐突に始まり、冒頭の会場へと再度誘(いざな)われる。そして、顛末については、ほとんど映画的に省略したままに、エンディングを迎え、作り手は、その答えをピーターの行動と、それに呼応したメンバーの姿で語らせるという手法をとる。思わせぶりだが、映画をよく見ている観客にとっては割と解りやすい演出だろう。 しかし、後味はとても良い。エンドロールの終了と共に終る演奏には、拍手を送りたくなる衝動がわき起こる。

 日本公開は7月上旬のこと。芸術的な香りのする作品だからといって、鑑賞するに季節はあまり関係ないかもしれないけれど、やはり暑い時期には、落ち着いた室内楽より、別の音が欲しくなる。 連日猛暑が続いていたその時期に出会っていたら、もしかしたら素通りしていたかもしれない。だから、秋風も少し冷たくなり始めた10月の下旬に見られたことを幸せに思う。そして最後に付け加えるなら、ピーターが、アレクサンドラを含む若い学徒達に語った、パブロ・カザルスとの逸話は、たまにこうして拙いレビューを書いている自分にとっても、行く先をそっと照らしてくれるような一筋の灯りに思えたことが、幸せの理由でもある。

2013/10/21 川崎市アートセンター アルテリオ映像館にて


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パシフィック・リム ◆ Pacific Rim [いんぷれっしょん]

 パシフィックリム.jpgシネコンの薄暗い通路に立つ、やたらとでっかい広告パネルに描かれた巨大ロボットを目にして「ん?何これ?スゲーかっこよくね?」などと、イマドキ若者風の感想を持ったのはいつ頃だったろうか?ロシア、中国、オーストラリア、アメリカ、そして日本。太平洋を囲む国々で作られた巨大なロボット達が、人類を襲う脅威と戦うのだというコピーには、理屈抜きで心トキメクものがあった。そして、超ド迫力の予告編を見始めた頃、そのコーフンバロメーターは危険なレッドゾーンに突入してきたのである。

  高度成長期以降に育った世代の男子(女子にもいるかな)は、ほぼ間違いなくテレビや映画で巨大なヒーローと怪獣の戦いを目にしているはず。ウルトラシリーズやマグマ大使、ジャイアントロボ、そして映画館の大スクリーン狭しと暴れるゴジラやガメラに胸躍らせた記憶を共有していると思う。しかし、やがてアニメの隆盛に押されたこと、製作費が足かせになったことなどから、実写特撮のヒーローや怪獣達を目にすることが少なくなり、映画の世界においては、ほぼ絶滅したと思われていた。それが何と、ハリウッドのセンスと資金力で制作された作品が登場するとは、何という嬉しいサプライズ。おまけに、監督が自ら「オタク外国人」と公言しているギレルモ・デル・トロということであれば、期待値の上昇は天井知らず。

 基本的には大満足という感想である。当たり前だ、日本生まれのアイデアと伝統をベースに、パイオニアたちへのリスペクトを込めたデル・トロ監督からのラブレターと称される作品である。怪獣バトルの洗礼を受けた人間にとって、この世界観は堪えられない。KAIJYU(怪獣)とイェーガー(人類が作った巨大ロボ)の戦いは、かつての東宝・大映や円谷プロの作品と同じ、都市のど真ん中でのぶん殴り合いが基本。おまけにほとんどが夜ときているから、その雰囲気は「お~昔のまんまやんけ~」と、なぜか関西弁になってしまうくらいのワクワクものなのである。

 この際、どれくらいワクワク・ドキドキできるのか証明するために、好感度高いとして揚げられる点を列挙してみるとする。その1=地球規模の危機という設定なのに、国家や各国の正規軍隊は早々に表舞台から去ったことにしてしまい、 『環太平洋防衛軍』というイェーガーバトル専門の部隊に代理戦争をさせるという、シンプルな話しにしたところ。これはお約束の地球防衛軍まんまじゃないですか~? その2=他のデル・トロ作品にも共通点があるのだが、変に大物俳優を使っていないから他の作品とのイメージが重ならない。つまり主役は巨大ロボットと敵の怪獣であり、乗り組むパイロットに過度な人間ドラマをさせていない。その3=日本製アニメにありがちな、妙な萌えキャラが混ざっていないから、登場人物のほぼすべてが徹底的にタフな戦闘モード100%の人物ばかり。よって、チープなロマンスでストーリーテンポを緩ませられることがない。その4以降=怪獣とイェーガーメカのクールなーデザインや、イェーガーと二人のパイロットが「ドリフト」と呼ばれる通信手段で一体化するという設定も、日本の正統なDNAだぞ。 そしてロボットの主役「ジプシーデンジャー」で主に見られるのだが、パイロットが搭乗した頭部が身体と合体し、その後基地から出撃するまでのギミックには、思わず「かっけ~!」と叫びたかった。もう、おじさん、大満足~なのである。そして、忘れちゃいけないのが、戦闘担当の他に、科学部門担当の二人のキャラを置いていて、ややご都合主義にも見える設定ながら、敵の核心を探るヒロイックな活躍をさせたのも注目点だ。地球防衛軍には、頭脳担当が必ずいたよね。

 かように胸のすく出来映えであるのだが、あまり諸手を挙げてばかりだとレビューとしてつまらないので、最後に少しだけ突っ込みを差し上げておくとすれば、以下のような点にはやや苦笑いが出たのも確か。あの巨大なロボットを動かす動力源はいったい何なのか?60個の動力駆動していると説明されていたが、それは電力ってことかいな? まさか内燃機関じゃないよね?やっぱ蓄電?だとすると初代ウルトラマン並の活動時間しか期待できないんじゃなかろうか?どうやら原作本があるようなので、その辺を紐解いてみれば答えが書いてあるのかも。 一方、ロシア製チェルノ・アルファは、頭の部分に核分裂炉を積んでいると言っていたと思うが、そんなものが肉弾戦するとはあまりに危険すぎでしょ~? 漏れた汚染水が飛び散って、すぐに大騒ぎになり、反核デモがすぐに起きそうだ。また、一説によると、イェーガーの重量は2000~2500トン余りとか。そんな重量物が都市を歩いたら、多分アスファルトにめり込んでしまって、歩行困難になるんじゃなかろうか・・・とは、「空想科学読本」の柳田理科氏に解説願いたいところだ。 ストーリーの後半、ジプシー・デンジャーが羽の生えた怪獣に掴まれ、相当の高度から落されるというシークエンスがあったが、重量2000トンの地上戦専用メカが無事着地し、パイロットも無傷というあり得ない強靱さについてはいかがなものか? そして大人目線でわき起こる最大の疑問点。イェーガーを維持し、戦闘させるために膨大な人的資源と資金が投入されているはずであり、事実そのように描かれている。国家の税金が投入されない状況で、天文学的と想像される財源はいったいどこから来ているのか?等々。

 とか何とか言っても、荒唐無稽でリアリズムとは無縁のお話に、最新の技術と資金を惜しげなく投入するとというスタンスに、男はひたすら萌えなのでる。コーフンするのである。冷めた目線はひととき忘れて、ガキんちょの心に戻ってみれば、それは至福の時であるはず。 子供の頃テレビや映画に影響されて夢中になった怪獣ごっこ、唐草風呂敷を首に巻いてのヒーローごっこ。それが、興味の対象はいつの間にか、野球サッカーなどの人気スポーツやロンゲ金髪&サイケメイクのロックバンドになったり、でっかい排気音を轟かせる二輪車へ。そしてやがてはミニスカートを穿いた同級生の少女に移ったりするのが男子の正しい成長過程だとすれば、パシフィック・リムがもう一度いざなってくれた懐かしい世界を、暗い劇場のでっかいスクリーンの前で、あの当時の気持ちになって手に汗握ってみるのも素敵だと思うのである。是非とも続編を作ってもらいたい。そしてそれを後押しするためにも、劇場スクリーンのスーパー音響で見てもらいたい。可能であるなら、制作時に最適化されているというIMAXシアターで。

2013/8/10 109シネマズグランベリーモールにて

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ペーパーボーイ/真夏の引力 ◆ The Paperboy [いんぷれっしょん]

Paperboy.jpg 関東以西の梅雨明けが7月第一週で、その後の猛暑と、戻り梅雨の蒸し暑さを繰り返して始まった2013年の夏。8月初頭の甲子園の開幕頃には、もう十分夏を体感している感覚である。そんな多湿日本の夏に届いたのが、アメリカ南部フロリダの暑苦しそうな沼地を舞台をに、爽やかイケメン半人前青年ひと夏の経験を描いたストーリー。主役を務めた正当派ハンサムボーイ、ザック・エフロンのはまり役「ハイスクールミュージカル」的甘酸っぱい青春ストーリーなどでは無く、チェリーボーイがどろどろぐちゃぐちゃの暴力とエロスにまみれて成長していくという、子供は見ちゃダメ!なキツイ作品だった。

 犯罪を取材する記者を、メインに据えたサスペンスとカテゴライズされるのかも知れないが、ストーリーは思ったよりずっとシンプル。警官殺しの服役囚を、ホワイト・トラッシュへの偏見による冤罪ではないかと疑った地元出身の記者が、取材を通じて真実に迫ろうというのがプロット。しかし、その課程で明らかになる登場人物達の持つ闇というか、本性というか、要するに尋常じゃない人間像があまりにも強烈で、ストーリーの胆であるはずの、真犯人捜しはどこいった~という印象。いえ、決して悪い意味ではありません。予想を覆される展開というのは、週一ウォッチャーとて、無上のヨロコビなのでございます。

 ご覧になった方々にはほぼ共通する感想をお持ちと思うが、主役を取り巻く役者達の役作りが何たってスゴイ。これまでのイメージをぶちこわす役に挑み、好演している主人公ジャック=ザック・エフロンが少し可愛そうになるくらいだ。その筆頭は、サイケなメイクに見事なブロンドヘアー+ウィッグ、フェロモン全開のイケイケミニスカワンピースを身に纏った「ビッチなバービー」シャーロット役ニコール・キッドマン。中身も外見と平行したキャラだから、保守的アメリカ人からは、後ろ指さされタイプの人物として描かれる。見事な役作りというか、もはや呆れるくらいの入魂レベルである。 続いて、警官殺しの犯人として、死刑判決を受け服役中のジョン・キューザック演ずるヒラリー。獄中文通によって、何故かシャーロットと婚約しているという難解な設定。あの風貌だから、見るからに悪党!という印象じゃなく、その素性は当初不明だが、釈放された中盤以以降に明らかになる暮らしぶりは、不気味でワイルド、怪しさ120%。抑圧された極貧困層の、劣等コンプレックスと歪んだ価値観に着火し、暴走する後半はかなり恐い。 そして、知的リベラルでジェントルな新聞記者、主役ジャックの実兄ウォードを演ずるのが、最近出演作品目白押しのマシュー・マコノヒー。最初の印象と、ストーリー半ばで明らかになる性向(クローゼットって言うのかな)とのギャップの大きさには、ただただ唖然とするばかり。ジャックくんも同じリアクションだったけど。 そして、 ウォードの同僚黒人記者のヤードリー。ジャックとウォード兄弟の実父で、地元誌社主のW.W.。幼くして母に捨てられたジャックには、家族同様の黒人メイドアニタなども、脇を固める配役としてぴりっと効いている。

  ビッチ・シャーロットの真骨頂、刑務所面会室でのヒラリーとのエアーファックや、ジャックにまたがり放尿するといった、ここまでやるか~という演出に応えた、オスカー女優のド根性に拍手を送りつつ、作品の本質を少しだけ考えてみるとする。それはストーリーの時代設定であるところの1970年前後、当時私たちが羨望の眼差しで見た、一般的に豊かなアメリカを象徴としているWASP層を描いたお気楽ファミリーTVドラマなどからは決して見えてこない、大国アメリカの影、特にマイノリティーに顕著と思われる極貧と無教養の共存及び連鎖。雑多な人種が混在する国で、絶対的に拭いえない偏見の存在だろう。その行き着く先が、薬物異存者や裏社会の構成員から犯罪者への転落というコースになりがちなのは、南部特有のまとわりついて離れない湿度と人を狂気に誘うような暑さのせいばかりでは無いのは明白だ。前作で、スラム黒人家族のDV、貧困、エイズ等悲劇のフルコースを取り上げたリー・ダニエルズ監督。社会の影を暴くような視点は、本作にも引き継がれているのだ。

 テーマや、かなりキツイ暴力と性の描写を考えたとき、メジャー系の劇場で多くを集客出来るかというと、やや「?」が付くような作品だとは思う。それを少ないとはいえ全国のシネコンが取り上げているのは、監督自身が語る「普通の映画と違って、私は大胆な配役をしたいんだ。イメージとは異なる、人々の予想を裏切るような配役をね」という言葉どおりのキャスティング、それに十二分に応えた役者たちの力量と話題によるところが大なのは間違いない。加えて、時代を反映している、赤っぽくざらつくような画面作り。頻繁に使われる、ジャックの妄想を映像化したような、ややサイケで現実離れしたな映像表現なども、作家のセンスとして是非注目すべきである。社会派としての視点、映像作家としての優れた表現、観客の予想を覆すキャスティングと演出などが、すべて高いレベル。猛暑に見舞われたこの夏に、大人が見るべき一本として大プッシュしたい。

 このように、申し分のないキャスティングおよび演出について、最後に少しだけ注文をつけるとすれば、劇中で、主要男性キャスト二人がケツを披露してくだ さっているが、どうせならもう少しサービス精神をふり絞ってもらい、ゴールデン・グローブ賞助演女優賞にノミネートされたという大物女優の熟れたおヒップ も、ちょこっとだけでも拝見できたら、更に高得点を差し上げられたのではと思うが、ダメだろうなぁ~?

2013/7/23 TOHOシネマズららぽーと横浜にて


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欲望のバージニア ◆ Lawless [いんぷれっしょん]

Lawless .jpg いわゆるハリウッド的シナリオというと、そのエッセンスにはいくつかのパターンがあると言われている。●典型的な悪役の存在 ●無敵ではない人間味のある主役 ●わかりやすいストーリーの流れ、といったところが主なものだろう。勧善懲悪のシンプルなストーリーに、ハラハラドキドキで味付けすると、一丁上がりというわけだ。加えて、予定調和のハッピーエンドに、恋愛テイストをちょっとふりかければ、ほぼ98%くらいの客に納得してもらえるエンタメ作品の完成と相成る。 

 この作品も、その王道から外れることなく、禁酒法時代を背景に上記のポイントをしっかり押えた作りになっていて、とても楽しめる。しかし、王道ながら若干過去の作品と違うのが、主役がバージニアの田舎で密造酒製造ビジネスを行う伝説の兄弟で、敵対するのが、そこに赴任してきた取り締まる側の官憲という構図。普通なら、法を守る正義の取締官をヒーローに据え、犯罪者をぎゃふんといわせるというのが多いはずだから、ちょっと異質。なぜこういった構図が成り立つかというと、禁酒法自体が悪法であり、運用にも非常に問題があったというのが、現代の一般的な評価だからだ。

 同じ時代を描いた過去作品というと、違法ビジネスによって暴利を得るギャングをモチーフにというパターンが一番なじみ深くて、それが、取り締まる官憲と戦いであったり、利潤をめぐる同業者同士の抗争であったり、ギャングの自伝的物語であったりするというのが多いようだ。それぞれのテーマ毎に、思い浮かぶ作品名がいくつかあるだろう。

 こうしたアンダーグラウンドでの利権争いや、抗争がなぜ起きるのか。市場に於いて高いニーズがあるにもかかわらず、法により規制されることで簡単に入手することが困難な状況を生み、流通価格の高騰を招き、そこに金の臭いをかぎつけたアウトサイダー達が付け入ることが主な原因なのは、経済の「いろは」から解ることだ。 リバタリアンによってしばしば主張される=麻薬の合法化=も根っこは同じで、薬物の中毒者が、天文学的に高騰する末端価格の違法薬物を入手するために、犯罪に手を染めることが直接的な悲劇に繋がっているというもの。また、ギャング・マフィア・ヤクザによって吸い上げられ、裏社会に隠された利益が、合法化により表に出て、税収の増加に寄与する可能性が高いという別の側面もある。

  本題に戻ろう。作品の大筋は冒頭に書いたとおり、実在したボンデュラント三兄弟をメインに据え、バージニアの片田舎で、一定の秩序の元、密造酒ビジネスを行うローカルコミュニティーが舞台だ。それは、取り締まる官憲をもシステムに組み込み、安定した収益源になっているところが、禁酒法がいかにザル法だったかというのを如実に語っている。 ところが、新たに着任した特別補佐官が強欲で、かつ非道な男。「おまえらだけ儲けさせないけんね。オレもたんまり分け前もらうけんね」というスタンス。大多数の村人達はこの男の理不尽な要求を渋々飲んだり、脅しや暴力に屈して、やがて言いなりになっていく。 しかし、主人公のボンデュラント三兄弟の次男フォレストは、やたらに気骨のある男で、こういった輩の脅しには絶対屈しないという態度だから、泥沼の争いに突入してしまうのだ。

 このフォレストを演じたのは、ダークナイトライジングで顔のない悪役ベインのトム・ハーディ。ジェイソン・クラーク演ずる長兄ハワードが、年長なのにもしかしたら少し脳みそ薄いのか、専ら肉体労働担当なところは、昭和の人気芸人コンビお染ブラザーズとは役割が逆だ。ベインは随分でかい男だと思ったが、ハワードはフォレストより一回りでかいから、相当な巨体だな。主役の三男坊、シャイア・ラブーフが小柄で、まるでお子ちゃまなところが、ナイス役割分担というキャスティング。この人は、どこかおどおどした役柄がひじょーに似合っているなぁ。役者の配置という点では、何と言っても悪役(取締官だけど)の、ガイ・ピアースの役作りがお見事。個性派俳優と認識されていると思うが、今回は特に突き抜けていますよ。

  そして、紅二点のジェシカ・チャステインとミア・ワシコウスカが男達の抗争劇に花を添えている。どっちに萌えるかは見る方次第。ちなみにわたくしは、ゼロ・ダークサーティで一躍時の女優となったジェシカ・チャステインが、強面だが女にはめっぽうオクテのフォレストに業を煮やし、ある夜ついにその柔肌で迫るという色っぽいシークエンスは「たまらん!」と申し上げたい。

 ストーリーの後半、三男ジャックの相棒クリケットが殺されてからは、ひたすら三兄弟対補佐官レイクスの復讐&抗争劇となる。こちらも王道を踏んでいると思うので、もしかしたら、かつての東映任侠路線がお好きな方々には、かなり支持率が高いのじゃなかろうかと思う。ドンパチをメインに、かなり血なまぐさくてグロいシーンも多いところは、銃規制の論議が出ては立ち消えるアメリカの現状が、こうした出来事の積み重ねで出来上がっているんだなどと、再認識してみたりもする訳ですね。

2013/7/11 横浜ブルグ13にて

ジョン・ヒルコート監督作品&ジェシカ・チャステイン出演作

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天使の分け前 ◆ Angel's share [いんぷれっしょん]

 天使の分け前.jpg 社会派で名高いイギリス人のケン・ローチ監督は、労働者階級に属する者たちが直面するさまざまな社会問題をテーマに作品を送り出してきた。今回は、真っ正面から切り込むようなタイプではないけれど、コミカルなタッチの中にも、その変わらないスタンスは生きている。

 主人公はグラスゴーに住む若者ロビーと、彼を含む主な登場人物であるポスターの若者プラス1。 4人は、それぞれが問題を起こし、裁判所から社会奉仕を命じられていて、その作業現場で知りあった者同士という関係だ。プラス1は、彼らの指導を担当する人の良いおじさんハリー。物語の背景には、常に右肩上がりで推移する、イギリスにおける失業者数増がある。率で言うと約8%。日本でも、若年層の非正規雇用増加と、それによる低所得者層の拡大が問題となっているが、イギリスの状況と重なる部分はあるのだろうか? 

 刑罰としての社会奉仕という制度は、まだ日本には無い。導入の是非については、全くの素人なので的確なことは述べられ無いけれど、今の日本の司法制度の枠だったら、例えば軽微な犯罪の場合、実刑プラス執行猶予数年、あるいはもう少し軽ければ保護観察処分なんてのが、デフォルトなんだろう。(間違っていたらごめんなさい) 海外では、発祥の英国を含め、欧米を中心に約30か国で採用されているとのこと。刑務所の過剰収容の緩和や、受刑者の社会復帰促進・再犯防止に効果があると言われているとか。どちらの制度と運用がより効果的なのかは解らないけれど、この映画から受ける印象は、そんなに悪くなさそうだ。

 いずれにせよ、こういった若者が存在する理由は、もはや固定化に留まらず、拡大再生産されるようにさえななっているといわれるる経済的格差だ。80年代から90年代の保守党政権時代飛躍的に拡大し、その後も微増を続けているという。この作品の主人公ロビーも、周囲には常に諍いや暴力があり、それは長く親達の頃から続いているというのは、格差問題が世代を超えて連鎖していることを表している。

 主人公ロビーには恋人がいて、物語が始まって間もなく男の子も生まれる。その娘の家族は富裕層であり、親からは結婚を反対されているという設定も、いつか見たような階級社会の話しだ。ミドルとかアッパーとか、かつての英国独特の階級とはやや違うかもしれないけれど、平等であったはずの社会と大多数を占めた中産階級はもはや過去のもの、現代社会ならではの新たな軋轢がリアルだ。 恋人のパパから、まとまった手切れ金を渡され、娘と子供から離れるよう迫られ、一時くじけて身を引く覚悟をしそうになるあたりのナイーブさにはグッとくる。粗野だけど、とっても良いヤツなんだな。あがいても抜け出せない無力感や、はけ口のない苛立ちなどを抱えて生きなければならない、底辺の若者像が見事に描かれている。

 本作はそのロビーが、心優しい指導官ハリーとの出逢いによって、 特異な才能を開花させ、一発逆転の人生にトライするというエンタメ色も強い内容だ。だから、後半は前半の痛さと打って変わり、ロードムービに、ちょっとしたコンゲームのテイストをブレンドしたような内容になってくる。古い蒸留所で発見された「幻のモルト」をめぐるすったもんだは、前半の痛みやリアリティーをひととき忘れさせてくれるし、ロビーら4人へしっかり感情移入させられた観客は、ドキドキハラハラをお腹いっぱい楽しめるだろう。見事目的を達成した帰路、警官に呼び止められ、職質受けた後に起きるアクシデントには、場内全員から「あ!」という声があがりましたよ。ローチ監督お見事。

 タイトル「天使の分け前」については、各所で解説されているからここでは触れない。そして、物語の終盤に、この上ない爽快感と暖かさををもたらしてくれる、とてもウィットに富んだ別の使われかたは、是非ご覧になって感じていただきたい。加えて、もう一つの意味として暗示され向けられているのは、英国を含む市場主義経済社会全体に対する、ケン・ローチ監督からのメッセージのように思える。 高級なモルトウィスキーに象徴される「富」。また、それを高値で取引きし、更には投資の材料にまでしてしまう富裕層の存在。このお酒の熟成過程で失われるという数パーセントを、この物語の主人公達を含む底辺の人々への「分け前」にできる知恵があるんじゃないか・・というのものだが、いかがだろう?

2013/07/4 川崎市アートセンターアルテリオ映像館


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過去作を掘り起こしたくなる監督のひとりですね。 


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