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ザ・マスター ◆ The Master [いんぷれっしょん]

The Master.jpg 太平洋戦争の帰還兵、粗野でアルコールとセックス中毒、社会に適応できずにいるフレディ・クエル。実在のものを下敷きにしたと言われている「ザ・コーズ」という新興宗教団体の指導者「ザ・マスター」ランカスター・ドッドと出会うことで、それまでの生き方を変化させていく。そして指導者の妻という立場であり、隠然たる存在の妻ぺギー。誰がどう見ても一筋縄では行きそうもない設定のドラマは、期待を裏切ることなく、多くの賞に輝いたPTA監督の前作同様、いや、更に楽しくなさ加減がパワーアップした重厚ドラマだ。

 ご覧になった方にはほぼ全員に異存ないことと思うが、主役のクェル役ホアキン・フェニックスと、マスター、ドッド役フィリップ・シーモア・ホフマン演技がとんでもなく素晴らしい。アカデミー助演女優賞にノミネートされ、高い評価を受けたエイミー・アダムスもかすむほどだ。

 ここに載せたポスター画像からも解るように、かなりのダイエットをしくぼんだ眼窩から、鋭く刺すような視線を送り続けるかなりイカれた男になりきったホアキン。やたらに弁が立ち、でっぷりした体躯と不思議な存在感で、うさんくささ120%の指導者となりきったホフマン。二人の出会いと別離までが物語となっている。

 偶然に出会った二人は意気投合し急速に接近する。「プロセシング」と呼ばれる治療法を施されたクエルは、まさに自分を救い導いてくれる存在としてドッドに心酔し、逆にトッドにとってのクエルは、恒にリーダー然として自制を持って振る舞うことを求められ、解放することを許されない自分の影の部分が人格化された存在として見ているかのようだ。

 こうして二人は互いを補い合いながら、「ザ・コーズ」の勢力拡大するのであった・・とならないところが、ポール・トーマス・アンダーソン作品ならでは。パズルの欠けた部分を補うかのように互いを必要としながらも、やがて別れてしまう。その理由が作品のテーマのひとつだとしたら、自分なりに考えるところも見つけられそうだ。

 クエルは、トッドと出会いその教えに共感することで、ザ・コーズの他のメンバーと同じような体験を求めたり、教義の理解を深めることを試みる。それが出来ればそれまでのダメな自分と決別出来るだろうとの期待を持って。しかし、本人の熱意や努力とは裏腹に、いくら真摯にドッドの導きに従っても、その境地にはたどり着けないばかりか、アルコールやセックス依存からも抜け出せない。ここにクエルの悲しさみ息苦しさが充満しているのだが、これはかなり人の本質に迫る話だ。 世の中に溢れる成功哲学や、それを実現する手段としての自己啓発への誘い。誰でも努力すれば社会的成功を勝ち取れるはずだから、あなたもがんばって・・という叱咤激励。でも、本当にそうなんだろうか? 「正しい」生き方への誘いを魅力的と信じ、懸命に努力しても報われないのは、 当人に問題があるのだろうか? 人は誰しも可能性を秘めていて、正しく開発することで、性格や知能が変えられるという成功者の導きには、その裏に彼らにしか通用しない理屈があるんじゃないだろうか。

 この疑問対する答えは、作品のエンディング、ベッドで行きずりの女を上に乗せ、プロセシングのまねごとを語りながら見せるクエルの幸福感と安堵感が漂う笑顔、およびそこに重なる曲に凝縮されているように思えるのだが。

 見終えてから数日間も考え続けられる作品はそう多くない。全編を通して一度もとぎれることなく流れる息苦しは、これを楽しめと言われても相当のMでないかぎり無理というもの。しかし、問題と答えをすべてフルコースで準備してくれる作品とは全く異なるPTA監督作品は、名だたる欧州巨匠の作品群のように、あるいは、重厚な純文学のように、遅効性肥料のごとく効いてくるのではないだろうかと思うのである。 レイティングでR15に指定されているのは、確かにクエルのパーソナリティに起因する性にからめたエキセントリックな演出が多く観られるからろうが、その本質を理解するにはもしかしたら「35歳くらい以上の大人向け」としたほうが良いのではとも思うのだ。

「ザ、マスター」というタイトルではあるが、主人公は教祖ドッドではなくクエルだ。Masterとは「所有者, 持ち主, 飼い主、雇い主, 雇用者, 主人、支配者, 統制者」といった意味合いがあるらしい。 定冠詞Theがついた本作の場合、どれが一番しっくりくるのか、見終えた後に考えてみるのも面白いだろう。

 TOHOシネマズ、ららぽーと横浜にて


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  PTA監督作品。作風が変わっているのが解りますね。

 


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月夜のうずのしゅげ

たんたんたぬきさんが書かれている「正しく開発することで、性格や知能が変えられるという成功者の導きには、その裏に彼らにしか通用しない理屈があるんじゃないだろうか」に共感しています。
リーダーにとってクエルは「解放することを許されない自分の影の部分が人格化された存在として見ている」もなるほどと思いました。
by 月夜のうずのしゅげ (2013-05-04 10:09) 

たんたんたぬき

月夜のうずのしゅげさん、コメントありがとうございます。私もどちらかというとそちらのカテゴリーに属すると常々思っているので、クエルのフラストレーションに共感してしまいました。ご指摘いただいた後半部分は、個人的な印象なので、作者の意図と合致しているかどうかは怪しいですけどw
by たんたんたぬき (2013-05-10 10:04) 

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